かつての同僚Sさんは昆虫好きで、いろいろと教えられることが多かった。
奥本大三郎がファーブル昆虫記の訳者であることも教えてもらったし、蛾と蝶の見分け方も教わった。木や壁に止まって休むとき、羽を広げて止まるのが蛾で、羽を立てて止まるのが蝶なんだそうだ。言われてみれば、今まで見た蛾はどれも羽を広げて、壁に張り付くように止まっていた。
何の気なしに蛾と蝶の話を書いていて、ぼくは一匹の蝶のことを思い出す。
かつて出会った、美しく力強い一匹の蝶、南米の宝石、モルフォ蝶のことを。
話は突然に
ブラジルへ飛ぶ。
15年前の夏、ぼくはブラジルを旅した。
アメリカで乗り換え、リオ・デ・ジャネイロへ向かう飛行機の中でぼくはすっかり満足していた。
20数時間もの間、エコノミークラスで窮屈な思いをするのには閉口したが、なんにせよ、今ぼくは地球の裏側にむかっている。子供のころ地理で習った地球の真裏に行く日が来るなんて、なんて素晴らしいんだろう。
リオ・デ・ジャネイロまでぼくを運んでくれるテクノロジーに感謝し、新世紀に生きる実感って奴を噛み締めた。
リオ・デ・ジャネイロで
数日過ごし、エル・サルバドール、別名バイーアという町を訪れた。
ブラジルはたくさんの移民で出来た国で、ヨーロッパから来た者、日本から入植した者、アフリカから連れてこられた者など様々なルーツを持つ人々がいる。
ブラジルには大きな街がいくつもあるが、リオ・デ・ジャネイロには白人系が多く、サンパウロには日系人が多く住む。緑あふれる太陽の町、バイーアは黒人の町だ。
成田に住む
日系ブラジル人の友達によると、バイーアは海辺の町で、人々は陽気で暖かく、町には常に音楽が流れているという。そんな話を聞いてぼくは是非ともその町へ行ってみたくなった。
リオ・デ・ジャネイロでチケットを取り、飛行機でバイーアへ飛ぶ。空港から町の中心地へついた時、店先から流れるレゲエのビートがぼくを出迎えてくれた。
町のはずれ、
海の近くの安ホテルに宿を定め、荷物を置いて町を歩く。
知らない国や町につくと、体がそこに馴染むまでものすごく緊張する。肌の色や外見、雰囲気などで、余所者オーラを周囲に発している気がしてしまうのだ。
どこの国でも余所者やガイジン(海外では自分がガイジンだ、当たり前だけど)はトラブルにあいやすい気がする。食べ物屋で馬鹿高い料金を吹っかけられたり、ひったくりに狙われたり。
不要なトラブルに会わないように、ぼくは旅先で頑張って現地に溶け込む努力をする。
バイーアの街角で、ぼくは自分に一心不乱に自己暗示をかけていた。
自分は余所者でもガイジンでもない、サンパウロから遊びに来た日系3世だ、と。
海辺の広場から
坂を登る。
服屋やスーパー、果物屋に雑貨店。
バイーアのメイン・ストリートをあてどもなく歩く。街の空気を吸い、人々の交わす会話に耳を傾ける。
そうはいっても、ぼくはポルトガル語はあまり得意なほうではなく、どちらかというと苦手で、より正確にいうとしゃべれないんだが。
わずかずつ、
体がバイーアに馴染んできそうな予感がし始めたとき、電気屋の前を通りかかった。
テレビでは新作映画のワン・シーンがやっていて、高いビルの中ほどから黒煙が立ち昇っている。そこへジェット機が飛んできて、もう一つのビルに突っ込んだ。
崩れはじめた二つのビルの背景には、信じられないほど青い空が広がっている。
電気屋の店先の何十台ものテレビは、ジェット機がビルに突っ込むシーンを繰り返し繰り返し映し出している。
やがてぼくは、それがほんの数時間前にニューヨークで現実に起こった出来事であり、テレビで映し出されているのが新作映画などではなく、世界中で放送されているリアルタイムの緊急ニュースだということにやっとのことで気が付いた。
(続く。tdiary 2003年5月9日を加筆再掲。
元はこちら→近況報告(2003-05-09))