なぜあんな立派な人がコロナやワクチンの陰謀論にハマるのか~複雑な世界を理解するときの落とし穴(1)

人間社会は複雑さを増すばかりだが、個としての人間はその複雑さをそのまま情報処理できるほど賢くない。そんな話をユヴァル・ノア・ハラリが書いている(『21Lessons』河出書房新書 2019年 16章「正義」)。
個体としての人間が情報処理できる関係性はせいぜい部族単位くらいまでで、それ以上の人数の関係性となるとお手上げだとハラリはいう。
人間が安定的な社会関係を保てる人数の上限をダンパー数(Dunbar’s number)と呼び、提唱者ロビン・ダンパーはその数を150人と見積もった。
Facebookでは「友達」として登録できる人数を5000人としている。やはり個人としての人間が関係性を把握できる人数に上限があるはずだという考えに基づいているのだろう。
 
この話の進行方向としては二つある。
一つめは、関係性の把握できる、安定した社会的関係性を保てる人数には有限だからこそ「正しい相手」を選んで付き合わなければならない、というゴールだ。この方向の話ならば「スモールワールド理論」やそれにインスパイアされたであろう映画『私に近い6人の他人(Six degrees of Separation)』(ウィル・スミス主演)を引用しつつ進むことになる。
もう一つは、理解できない複雑な社会の中で、我々個としての人間はどのように関係性を情報処理してるか、という話である。
今回は後者の方向性で話を進めたい。
 
さて、情報処理できないボリュームの関係性の中で人々はいかに関係性を情報処理しているか。
ハラリが正しければ、その方法は4つ。
 
①関係性のダウンサイジング 国同士の争いや内戦を、例えば敵の親玉と味方の親玉2人の対立として捉える。国際関係でいえば、例えば米中両国の対立と協働を、大統領個人と主席個人の対立と協働としてダウンサイズして理解する。
②複雑な関係性の中の、人間ドラマに注目 例えば格差や貧困、そしてその克服という構造的問題を、その中に生きる人の人間ドラマとして理解する。
③陰謀論 複雑な関係性をそのまま理解することが困難なので、モノゴトは誰かの陰謀として動いていると解釈する。グローバル経済はユダヤの陰謀だと言い出したり、ワクチンは大富豪の陰謀だと言い出したりする。
④政治的なドグマや宗教的な信条に身を委ねる 現実が複雑過ぎるゆえ、誰かが提供する強固な教義に従い世界を捉える。
 
最も大事なのは生き抜くこと、生きのびることなので(盲目的な生存への意志というのは生物の本質だと思うので、ここには疑いを挟まないこととする)、どのような方法をとって複雑な現代社会を理解しようと構わないが、ここにもまた落とし穴がある。

複雑な現代社会を生きる個としての人間が、世界を理解する上で上記の4つの方法を取りがちだということを悪用する者がいるのだ。

コロナ禍の中で特に目にすることがあるのが陰謀論だ。
なぜあんなに社会的地位がある人が、という人が得々と陰謀論を語ることがある(退職した部長さんとか)。
あるいは立派な大学に通っている大学生が過激な政治思想やカルト宗教のドグマに絡みとられることがある。
いずれも周囲は「なぜあんなに賢い人が」と不思議に思うが、ある意味で賢いからこそ陰謀論やドグマにはまるとも言える。
 
複雑な世界を複雑なまま理解することは、人間には許されていない。
それでもなお「わからない世界をわかりたい」という人間が、わからない世界をわかる(わかったような気になる)経路として、陰謀論という経路や強烈なドグマを通した世界理解という経路がある。
「わからない世界をわからないままにしたくない」というのが学びのモチベーションであるが、「わからない世界をわからないままにしたくない」という賢い人だからこそ、陰謀論やドグマにはまりこんでしまうのだ。
「わからない世界はわからないままでいいや」という人は、陰謀論やドグマとは無縁のまま、現世を楽しむのだ。
 
人間はまた、どっちつかずで白黒つかない『宙ぶらりん』の状況には耐えがたい。陰謀論やドグマに頼ってでも、「わからない」状態を「わかった」状態にしたいのだ。『宙ぶらりん』に耐えるには相当な知的スタミナが要る。
わからないことをわからないまま、それでもなおわかろうとするのが専門家である。
人間の脳みそのキャパでは、複雑な世界を複雑なまま理解することはできない、という話をしている。
大事な話だから繰り返すが、ハラリが正しければ人間は下記の方法でこの複雑な世界を理解しようとしがちだ。
 
①関係性のダウンサイジング
②関係性の中の人間ドラマに注目
③陰謀論
④ドグマやイデオロギーにのっとった理解
 
これらは無意識に行われるので、意図をもってそこにつけ込む人も出てくる。
 
たとえば湾岸戦争のときには油にまみれた海鳥を用意したり、15歳の少女をどこからか連れてきて人権委員会で涙ながらに証言させて世論形成を図った者がいた。ここらへんは上記②の心理につけ込んだ動きだといえよう。
あるいは「悪の枢軸」というレッテル貼りは③、「自由主義社会を守るための戦争」みたいなものは④につけ込んだプロパガンダともいえる。
何ものかのアピールによって自分の感情が過度に動かされたり、あるいは自分の世界理解が影響を受けそうになったら、一歩立ち止まって、どの手法が使われているか考えるとよい。
相手の使う手法をわかったうえでその話に乗るもよし、乗らぬもよし、そこはas you likeだが、無意識に他者の手法に振り回されるのもシャクだろう。
ぼく自身はあまりそうした手法を使うのを好まないが、あるいは上記①〜④の手法を使って他者に影響を与えることも出来る。
 
複雑に絡まった利害関係やしがらみを解きほぐして逐一説明し説得するより「あの組織のトップに一泡吹かせよう!」と仲間を鼓舞するほうが楽(手法①と②)だったりするし、格差と貧困みたいな話も構造的な話を延々とするより「こんなかわいそうな話があるんです!これをなんとかしなきゃ!」(手法②)とやったほうが人の心が動く。
陰謀論やドグマ、イデオロギーを振り回す人には近づきたくないが、斎藤幸平氏流にいえばSDGsだって④の手法といえる(「脱成長コミュニズム」もまた④だが)。
 
最低限いえるのは知らず知らずに誰かのカモにされるのは避けたいよねということで、そのためにはカモる側の手口を知っておく必要がある。
〈ゲームが始まって30分経って誰がカモか分からなければ、お前がカモだ。〉