週刊プレイボーイで30数年前に読んだ話が、今も心に生きている。
映画の都ハリウッドに一人の男がいた。うろ覚えなので、仮にジミーとしよう。
ジミーはいわゆる業界人ではない。純粋な映画ファンだ。
面白い映画良い映画を観れば興奮して会う人ごとにその映画の話をする。
初老のジミーには家族もなくほかの趣味もない。街の外れのこじんまりとしたフラットに住んで、映画がかかると街に出かけてゆき、映画を楽しむ。
ジミーの楽しみの一つは、伝手をたどって試写会に出かけていき、これから世に出る新作を観ることだった。
アタリの映画の試写を観たときのジミーはそりゃあもう大興奮で、試写室を出た途端手当たり次第に「いい映画だった!君も観るべきだ!」と言って勧めまくる。
ハズレの映画の時は、黙して語らない。
いつしかハリウッドの業界人の間にこんなウワサが流れるようになった。
「ジミーという男が試写会に来た映画は、当たる」。
本当はジミーが試写会に来たからといって必ず当たるものでもないのだが、まあジンクスというのはそういうものだ。
そうして各社の試写会には、一つの席が設けられるようになった。
名付けて、「ジミーズ・シート」。
無名のいち映画ファン、ジミーがこの世を去ったとき、世界は彼のことを知らないままだった。ただハリウッドの映画人たちだけが、彼の死を心から悼んだという。
ぼくが見習いたいと思い続けているのは、ジミーの「良いものは絶賛し、そうでないものは黙して語らない」というスタイルだ。放って置けば人の心は他者を妬み「たいしたことない」と言いたがり、あるいは人の粗探しをして貶したがる。
映画を愛し映画人に愛されたジミーのスタイルを真似るには、意志の力が要る。
30数年前に一度読んだきりのコラムだし、彼がジミーだったかどうかもわからない。時の流れとともに思い出補正もかかっているだろうし、話も膨らんでいるはずだ。だがアズ・タイムズ・ゴー・バイ、すべては時の過ぎゆくままに。
(Facebook 2021年5月21日を転載。元のコラムをご存じのかたご教示ください)