「友だちはそんなに必要ないけれど、仲間はそこそこいたほうがよい」 という話。

「友だちはそんなに必要ないけれど、仲間はそこそこいたほうがよい」

そんな話を、吉本ばなな氏の『吉本ばななが友だちの悩みについて答える』(2021年 朝日文庫 p.22)で読んだ(もとは雀鬼・桜井章一氏の言葉らしい。原著をご存知のかたは教えてください)。

 

友だちと仲間はそうキレイに線を引けるものでもないが、この考えかたは面白い。 仲間のイメージで一番わかりやすいのは「仕事仲間」だろう。

同じタスクを力を合わせてやっていったり、同じ方向を向いて切磋琢磨したりする。

 

では、友だちと仲間はどう違うのかというと、パーソナルスペースへの侵入を許せるかかもしれない。

前掲書で書かれていたのは、友だちというのは、家に上がってこられて「喉渇いたな。何かない?」と言われて「冷蔵庫の中にジュースあるから勝手にどうぞ」と言える関係性。

あるいは部屋に入ってきて「疲れたからちょっと横になってていい?」と言われて「どーぞー」と言える間柄。

 

友だちの定義は人それぞれだけれど、たとえば仕事仲間だと、いきなり自分ちに上がってこられて勝手に冷蔵庫開けられたりゴロンと横になられたりしたら「え、何この人?!」と困惑するだろう。 確かにそう考えると、友だちと仲間は必ずしも一致しない。

 

友だちと仲間は時に重なりあうし無理やり切り分けなくてもよいが、「友だちはそんなに必要ないけれど、仲間はそこそこいたほうがよい」という考えかたは、たぶん生きていく上でとても役に立つように思う。