雀鬼いわく、「いい手はつくるのではなく生まれる」。

〈「つくる」のではなく、「生む」という感覚を持つ〉
雀鬼・桜井章一氏の言葉だ。
〈麻雀は「いい手」をつくろうと頑張るほど、うまくいかなくなるものだ。私が勝負に際して常に大切にしているものは、「つくろう」とするのではなく「生む」感覚だ。〉
(『雀鬼語録 桜井章一名言集』株式会社プレジデント社 2023年p.21-22)
 「いい手」は「つくる」のではなく「生まれる」、というのは興味深い。
つくるという言葉には全ては作り手の意のまま、思惑どおりという人意や人為のにおいがあるが、「生まれる」には何かしら人為を超えたもの、自然や運や天意みたいなものの関与を感じる。
 
身近な例で言えばたとえばいわゆる“バズ”。
バズるツイートというものは多くの場合、「つくる」というよりは「生まれる」ものではないだろうか。
 
あるいはヒット曲。
超ヒット曲でスーパーロングセラーの『残酷な天使のテーゼ』も、「生まれた」時は関係者は「面白けど売れないだろうね」という感じだったというし(及川眠子氏の2022年5月18日ツイート)、「ファリヤーセタメソ、ファリヤートゥセー」に至っては、〈突然に宇宙から下りてきた言葉〉らしい(同上)。
 
昔お世話になった編集者の方がぽろっと言っていた言葉を思い出す。
「いまだにベストセラーの作り方の絶対の方程式って無いんですよね」。
唯一の例外は有名人に本を書いてもらうことなんだって、ダディ。
 
「いい手はつくるのではなく生まれる」、というテーマは面白い。
 
話題を横展開すると、世界の若者に大きく広がったマンガ文化アニメ文化も、誰かが人為的につくったというよりは「生まれた」ものといったほうが近い気がする(もちろん「生まれる」ための努力や「育てる」ための努力があるのは当然のことだ)。
また別の話だが、「日本にはジョブズがいない」みたいな話も、ジョブズみたいな変わり者は「つくる」ものではなく「生まれる」ものだろう。
ジョブズみたいな変わり者を「つくろう」とするのではなく「生まれ」やすい土壌にしようとか「潰さない」ようにしようとかの感覚のほうがしっくりくる。
 
「いい手はつくるのではなく生まれる」というテーマはいろいろ示唆を与えてくれるので、しばらく頭の中で転がしてみたい。