ウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)のマイノリティ的視点と『マトリックス』に関する一仮説。

映画『マトリックス』1999年公開から18年後のネオ、トリニティ、モーフィアス役の三人の写真というのをネットで見つけた。

1作目から18年! 3人そろったキアヌ、キャリー=アン、ローレンス Todd Williamson / Getty Images - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN

あれから18年かー。3人とも変わったけど、一番変わったのは監督のウォシャウスキー兄弟だ。
なにしろ二人とも性転換して、今やウォシャウスキー姉妹である。

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そんなことを思っていたら、ある仮説が心に浮んだ。
ウォシャウスキー姉妹の心の葛藤が、『マトリックス』の世界観に及ぼした影響についての仮説だ。



そもそも前々からマイノリティーに優しい映画とは思っていたのだ、『マトリックス』。
主人公のネオ(キアヌ・リーブス)は黒髪・細身のやさ男で、モーフィアスはアフリカ系。トリニティーもスレンダーの黒髪だし。
超典型的なアメリカ映画のイメージだと、金髪碧眼でマッチョな、ジョンとかチャールズとか言うピカピカのWASP的な主人公とこれまた金髪碧眼で「出るとこ出てます」系体型のか弱いヒロインを、いいやつだけど主人公よりはちょっと単純なアフリカ系の脇役とかオタクちっくなアジア系を従えて大暴れ、とかなりそうだけど、それとは全然違う構図で。今どきそんな超典型的な映画があるのかはしらないけど。
 
作家の人間性と作品の内容をイコールで考えるのは間違いだというのはわかっている。
とんでもない悪人が心温まるハートウォーミングストーリーを書くことだってあるし、その逆もありだ。自分の経験したことしか書けないとなると、赤川次郎は大量殺人鬼になってしまう。
しかしそれでも、作者の経験というのは作品ににじむ。

マトリックス』監督のウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)の心の経験は、『マトリックス』という作品にどう滲んでいるのかに関心がある。
トランスジェンダーの自分にとって本来の性である女性性を押し隠しつつ社会から与えられた性=男性性はどんどん肥大化し、そちらが現実になっていく葛藤。
真の姿を現したときには、社会から抹殺されるだけでなく、肉体すらも滅ぼされるかもしれないという恐怖(GIGAZINEインタビューでは「アメリカでは、トランスジェンダーが殺人事件の被害者になることも多い」と語っている)。
そんな葛藤やひりひりする恐怖感、それでもなお真の自分でありたいという決意が、<覚醒せよ><たとえ現実の姿のほうがみすぼらしくてみじめだとしても、虚飾に満ちた仮想現実からプラグを抜け>という映画の世界観に反映しているのではないかと思った次第。

第1作では仮想現実から離脱したネオたちは少数派だったけれど、第2作、第3作になるにつれて、<仲間はいっぱいいる>的な感じになっていったのも興味深い。

2009年から2017年までのオバマ政権時代のアメリカは、大統領自身もマイノリティ(アフリカ系のルーツを持つ非WASPで、左利きでもあるそうだ)であり、LGBTなどのマイノリティに対しインクルーシブであった。振り返ると『マトリックス』はオバマ的なアメリカの序章だったのかもしれない。

誰か、トランスジェンダーであるウォシャウスキー姉妹の視点と『マトリックス』の世界観およびオバマ時代の社会的風潮について研究して発表してくれないでしょうか。

 

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ブルゾンちえみとは2017年のトニー谷であるーR-1グランプリを前に。

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「どうも、キャリア・ウーマンです」

ブルゾンちえみを動画で見てから、彼女のことが頭から離れない。

コシノジュンコをリスペクトしたショートボブというよりはおかっぱといいたい髪型と濃いメイク、どこかで見たことがあると思ったらハリウッド映画の中だった。

 

ハリウッド映画ではときどき、妙にビミョーなアジア系の女性が端役で出てくる。

ハリウッド映画に抜擢されるくらいだから美人なんだろうが、日本人の感覚からすると失礼ながらそんなに美人には見えない。日本国内の女性のはやりは多分ゆるかわ・ナチュラルな自然派(と見せかけた超絶技巧派)メイクなんだろうけど、それとは真逆のくっきりはっきりしたアイラインで、小柄というよりちんちくりんな感じのスタイル。

古い映画では『フォレスト・ガンプ/一期一会』で主人公フォレスト・ガンプが軍隊で世話になり、のちにエビの会社を一緒に立ち上げるダン・テイラー中尉が結婚した相手がそんなビミョーなオリジナリティあふれる外見のアジア系女性だった。

「なぜこの人と結婚するかなー」と日本人の観客は思うのだが、話の流れからすると変わった風貌のアジア女性と結婚しちまった!というネタではなく、普通の幸せな結婚という感じで描かれていて、あれはアメリカ人の一部にああいった濃い独特のメイク・小柄なアジア人女性をオリエンタル美人ととらえる趣味があるのだろう。

 

ブルゾンちえみの姿がそうしたハリウッド映画にチョイ役で出てくるビミョーなオリエンタル女性に似ていると思った瞬間、謎が解けた。あれはおそらく、海外帰国子女で外資系に働くキャリア・ウーマンのパロディなのだ。

帰国子女という設定だとすると全て合点が行く。

「クミちゃん、仕事しごと!」「サイトウくん、ありがと」「ウエダくん、ありがと」とやけに名前を呼んでくる感じ、体言止めの多用、「ダメウーマン!」と相手をちょっとけなしそのあとで「それじゃあ質問です」と質問形式で話を進める様子、キメキメのジェスチャーなどなど、あれはアメリカで青春時代を過ごして日本に帰ってきた帰国子女の立ち居振る舞いを戯画化しているのであろう。

 

そう考えたとき、帰国子女のパロディを演じているブルゾンちえみと、それを笑っている我々視聴者との距離感は、戦後のトニー谷と観客のそれにそっくりだ。

トニー谷は戦後、日系二世を演じて一世を風靡したボードヴィリアンである。

「レディース・アンド・ジェントルマン、アンド・おとっつあん・おっかさん」などの日本語混じりの怪しげな英語、「トニー+イングリッシュ=トニングリッシュ」をあやつり、「サイザンス」などなどのキザではなにつく軽口・悪口で人気者となった。

赤塚不二夫のキャラクター、「イヤミ」のモデルになった人物といったほうがイメージしやすいかもしれない。

 

本名は大谷正太郎、トニーの名はアメリカン・レッド・クロス・クラブで働いているときに上司のアメリカ人女性から「トァニィ、トァニィ」と、谷を訛ってよばれたところから谷→トァニィ→トニーとなったという(村松友視トニー谷、ざんす』毎日新聞社1997年 p.64)。
トニー谷は司会者が観客や共演者をイジるスタイルのはしりで、それまで脇役だったMCが人気者になるという、タモリ的な芸風の創始者のひとりであった(小林信彦『日本の喜劇人』新潮文庫 昭和57年 p.90)。

 

トニー谷がウケたのは戦後の米軍占領下の日本だったから、というのが識者の一致した見解だ。子どもの誘拐事件という不幸な出来事があったにせよ、最盛期は昭和26年ころから昭和30年とされる(笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』文春文庫 2016年 p.201)。

この時代、日本は米軍の占領下・占領直後だった。日本からの輸出品に、「Made in Occupied Japan」と記されていた時代で、フクザツ・鬱屈した思いで生きている日本人も多かったはずである。

そんな中、見た目は同じ日本人なのに占領国側、「勝ち組」の一員として振る舞う日系二世は一部で嫌われ者だったようで、トニー谷はそんな嫌われ者の日系二世を徹底的にイヤミに演じることで大人気だった。

 

放送作家景山民夫が後年、もう一度全盛期の芸をテレビでやってほしいとトニーに頼んだとき、トニー谷はいったんはこう断っている。
<「やらねえよ!」

「でも……」と僕は食いさがった。

「僕らは見てないんです。遅く生まれてきちゃったんです。きっと、あの頃のトニーさんの芸を見たがっている人は沢山いると思うんです」

彼はテーブルの上の僕の名刺を手にとって、ちょっと顔から遠ざける仕草をして眺めた。

「景山さん……ね。いいかい、あちしが二世みたいな喋りをやったのは町に二世が一杯いたからだよ。アーニーパイル劇場はアメリカの芸人が出てて客席も全部アメリカ人。劇場の表を歩いてる日本人にゃそれが見られない。だけど、同じ顔をした二世は、アメリカ人で、いくらでも劇場に出入り出来た。そういう時代だったんだよ。どっちかってェと二世ってのは、キザだのなんだの嫌われてる時代だったんだ。だからあちしのやったことに意味があった。ウケた。“レディース・アンド・ジェントルメン・アンド・おとっつぁん、おっかさん……”がウケたんだ。パロディーってのはそういうものなんだ。それを、今、この時代にやったって何の意味もありゃしない。そうだろ?」>(景山民夫『普通の生活』角川文庫 昭和63年 p211-212. 「トニー谷ディナージャケット」)

 

トニー谷が占領下の日本で日系二世を演じて観客のコンプレックスと嫌われ者見たさに基づく笑いを引き起こしたとすると、ブルゾンちえみの笑いは何に由来するものか。

格差と二極化に翻弄される2017年において、いわゆる「勝ち組」ポジションの帰国子女・外資系キャリアウーマンを演じ、言ってる雰囲気やジェスチャーはキメキメなのにたとえが少しだけずれていたり(人気アイドルが遊ぶ時間が無いのとキリンの睡眠時間はよく考えると関係ない)、「イケてる女」気取りなのに見た目が微妙(文字通り微妙で、美人ではないが崩れすぎてもいない)なところのギャップが笑いの源泉なのだろう。
「かっこつけてそんなこと言ったってアンタ微妙じゃん」という笑いなのだと推測する。


そうした意味で横にいる「B」、ブリリアンの二人が超・効いているともいえる。

イケメンで182cmの長身の二人を両脇に配することでブルゾンちえみの「ちんちくりんさ」(そうは言っても155cmあるそうだ)と見た目の微妙さが引き立つ。
もし江角マキコwith Bが同じネタをやってもただの『ショムニ』だし、クールビューティなハリウッド女優が「地球上に男は何人いると思う?35億」と言っても「ははー、恐れ入りました」となるだけで笑いにはつながらない。

ギャップがあるから面白く、そのギャップの演出にブリリアンの存在は不可欠だ。
2月28日放送のR-1ではブルゾンちえみはBなしで戦うという。どこまで戦えるか大注目である。

 

何で延々とこんなことを書いてるかって?
Ha! ダメネットサーファー。

それじゃあ質問です…(以下、お好きな文章をお入れください)

 

 

↓書きたいから書くの。

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明日20日月曜日20時から渋谷クロスFMで「カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style」第2回放送です!

月1回放送のインターネットラジオ番組「カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style」、明日20日20時から渋谷クロスFMで放送です!

明日は、国民一人あたりGDP世界ナンバーワンのヨーロッパの『小さな大国』、ルクセンブルクの謎に迫ります!
視聴は渋谷クロスFMのサイトからどうぞ!!!

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前回放送分はニコニコ動画でどうぞ!ログインなしで視聴できます!

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意志と知恵(R)ー上野千鶴子氏「日本の場合、みんな平等に貧しくなればいい」論に思う

社会学者の上野千鶴子氏がこう言った。
「日本は少子高齢化で、大量の移民も受け入れられない。みんなで平等に貧しくなりましょう」

資源輸入国の日本が、みんなで平等に貧しくなることを指向したら、それは「死」を意味する。豊かになったほかの国が、石油や食料をぜーんぶ買い占めちゃうから。

ぼくたちは、滅びるわけには、いかない。というわけで、2009年に書いたものを再掲。

 

1)『平成三十年』か『21世紀の日本』か~日本の未来像~

 今、日本において一番の問題はなんだろうか。私は社会を覆う閉塞感であり、希望の欠如ではないかと思う。希望とは何か。それは単純に言えば、明日が今日より良くなると期待できることだ。平成20年6月の内閣府による世論調査では、生活についてこれから先どうなっていくかを調査した。その結果、今後の生活が「良くなっていく」と考える国民はたったの7.4%であるのに対し、「悪くなっていく」は36.9%で、その約5倍もいる計算になる。しかも、前回調査では「悪くなっていく」と答えた人は29.1%だったが、今回は36.9%と増加しているのだ。これからの暮らしが「良くなっていく」という希望を持っている人は、日本ではたった7%しかいないのである。

「この国には何でもある。だが、希望だけがない」。

 村上龍の近未来小説、『希望の国エクソダス』の中で、主人公の中学生“ポンちゃん”が言う。小説の中では、近未来の日本は失業率が7%を超え、大幅な円安に苦しんでいる。そんな状況に絶望した中学生80万人がいっせいに不登校となり、独自のネットワーク「ASUNARO」を作る。彼らは大人顔負けにビジネスをし、語る。そして新たな世界へエクソダス=脱出するのだ。小説では中学生たちは、北海道に集団で移り住み、新たな共同体を作っていく。

 では、現実に生きる我々が現在の日本から脱出したとしたら、その先はどこへ続いているのだろうか。

 ここに2つの未来小説がある。堺屋太一の『平成三十年』と松下幸之助の『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』である。簡単に設定を述べる。

『平成三十年』

 堺屋太一の『平成三十年』はもともと1997年から1998年にかけて朝日新聞に連載されていた近未来小説である。1997年は平成9年なので、連載当時から起算して約20年後の未来を描いている。
 小説は主人公木下和夫の妻、平美が消費税アップを嘆くところから始まる。小説の中で、平成30年の日本では経済は縮小し、インフレーションが進んでいる。平均物価は約3倍に上がり、グレープフルーツは1個500円、ガソリンは1リッター1000円である。日本経済の低迷により円安が進み、1ドル230円台。国民の負担も増大し、消費税を12%から20%に上げようという議論もされている。少子化と人口減少にも関わらず、東京への人口集中が続き、都心の過密はさらに悪化、一方で農村部、山間部は過疎化が進んでいる。新しい技術はあるものの、首都移転など抜本的な改革は官僚機構や既得権益層に阻まれて進まないままだ。
 ここで書かれているのは、日本の「暗い未来」だ。

『21世紀の日本』

 一方、松下幸之助の『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』は昭和51年に書かれた。舞台は2010年、執筆当時からおよそ30年後を想定して書かれている。『21世紀の日本』の中では、日本は安定した堅実な経済成長を続け、政治は生産性が高く、世界中から理想の国として尊敬されている。中小企業は力強く活躍し、経営者と労働者は対立しつつ調和する関係である。都会と農村、都市と自然はバランスよく調和し開発され、過密も過疎もない。税金が効率よく使われているため、年々減税が進められている。
 こちらは一転して、「明るい未来」である。

 我々はどちらの未来も選択することができるはずなのに、しかし36.9%の国民が将来は「悪くなっていく」と考えている。日本には『平成三十年』の暗い未来しか待っていないと考えているということだ。『平成三十年』の副題は、『何もしなかった日本』である。

 だが、「何もしなかった」場合、もっと悪いケースもあり得るのだ。

2)最悪の場合、国は消滅し得る。

 1990年、東ドイツが消滅した。高校生だった私はベルリンの壁が壊されるさまをテレビで見ながら、新しい時代が来るのだという素朴な期待と軽い高揚感を覚えながら、その一方で思った。「国って、無くなるんだ」と。

 1991年、ソビエト連邦が崩壊。同じころ、ユーゴスラビア紛争が起こり、元同国民同士の殺し合いの末、後に解体。国というものは、確かに無くなるのだ。

 国が無くなるという感覚は、日本に暮らしていると正直、感じない。あまり国というものを考えずに済んでいることも一因だろう。日本列島は海に囲まれているので国境が身のまわりにあるでもないし、日本人と日本語に囲まれて日々が流れていく。テレビをつければ圧政を引く隣国や、膨張する軍事大国のおどろおどろしい番組を見ることができるけれど、スイッチを切ればまた日常がスタートする。国というものを意識しなくても暮らしていける、これは一種の恵まれた環境なのだろう。

 しかし、ローマ帝国からソビエト連邦ユーゴスラビア、無数の国が崩壊し解体し消滅してきた。長い間国が壊れず、この先もなんとなく国が続いていくと信じているわれわれ日本人は、世界からみたら少数派なのかも知れない。

3)今そこにある危機

 日本が消滅するというのはにわかには想像しがたい。テロの脅威はあるものの、国内では危機感は欧米ほどではない。大きな戦争が起こるとも思えない。しかし、外国から侵略されたりする以外の消滅の仕方もある。自壊・自滅である。

 自滅のパターンの、一番の要因は少子化だ。

 平成20年度の少子化白書によると、2005年は2004年に比べて日本の人口が2万人程度減ったという。1899年の統計開始以来、人口の自然減ははじめてのことだ。

 国家の最低限の条件とはなにか。国家の最低限の条件とは、「going concern、存在し続けること」ではないだろうか。一人の人間には寿命があり、たかだか80年ほどこの世に存在して、そして舞台を去る。人間は、自らが死すべき存在であるが故に、永遠に続くものにどうしようもないあこがれを持つ。祖先から自分、そして子孫へと続く命のリレーを想像し救われる。永遠なるもの、神への帰依を教える宗教に所属することで心の平安を得る。会社の社長は自分の会社が繁栄し続けることを願うだろうし、古来より子孫繁栄は人類共通の望みである。

 少子化というのは、そうした繁栄から遠ざかる道である。しかしその少子化傾向について、危機感を本当の意味で感じている者は少ないのではないか。様々な会議は行われているが、有効な手立てがとられていない。少子化は国の構成員が減るということで、これは放置していい問題ではない。

 少子化は、若い親たちが子供たちを生める環境にないということだ。働きすぎ/働かせすぎによって会社員が仕事に追われている、教育にお金がかかる、住居の問題などという側面もある。

 またそれ以外に、貧困の問題がある。

 現在、日本の労働人口のうち3分の1は非正規雇用だ。しかし今回の金融危機により、大量の非正規雇用派遣労働者が路頭に迷うことになった。これに対し、年末年始に日比谷公園年越し派遣村が設置された。年越し派遣村は、金融危機で派遣先から突然契約を切られ、寮などから退去を迫られた元・派遣社員などの支援を行っているところである。中心メンバーの湯浅誠氏(自立支援センター「もやい」代表)はこんなことを言う。

 いわく、経済的に困窮する若者には、「意欲の貧困」が起こる。経済的に自立できず、親と同居しながら30歳を超え、「恥ずかしい、生きていけない」と自分を肯定できない。

 フルタイムで働いても自分で生きていくだけで精いっぱいで、子供を持つなんて到底不可能な状況がある。これでは少子化に拍車がかかるばかりだ。

 経済的貧困が意欲の貧困を産み、それによってますます経済的に困窮していく。国の意欲は国民の意欲の総和だとすれば、個々の国民の意欲が低下し、「貧困」であることは国の意欲の低下、国の「貧困」につながる。個人の中で貧困が連鎖し、国と国民の間でも連鎖していく。

 少子化、貧困。こうした問題を放置しておけば、我が国はこのまま衰微しその果てに自滅してしまうかも知れない。

4)国が生き残るために

 こうしたたくさんの課題、少子化や貧困を解決し、国家が存在するために、言葉を変えれば生き残るためには何が必要だろうか。

 水、食糧、資源...。言い出せばきりがないが、資源がなくても、食糧がなくても国は生きていける。水を輸入し、食糧を輸入し、どうにかこうにかやっている国々はあるのだ。

 しかし、生き残る、生存し続けるために不可欠なものが2つある。意志と知恵だ。「なにがあっても生存し続ける」という、燃えるような熱い意志と、地球上のすべてを敵にまわしてもしたたかに、戦略的に立ち回る知恵。その二つを欠いた国は、この先永劫に生き続けられるとは思えない。生存する意志のない生物を許容するほど自然界は優しくない。国が一つの生物ならば、同じことが言えるだろう。自然界において、生存する意志がない生物は、退場を迫られるだけだ。

5)意志、意欲

 その意味で、私は我が国の現状に危機感を覚える。存続し続ける意志、それはいったいいずこにあるのか。口を開けばだれもが未来への不安を訴える。一国の総理が他人事のように国の状況を語る。だがしかし、その不安を乗り越え、困難を自らの力で打破するのだという意志を示す者はとても少ないのではないだろうか。いつか誰かがどうにかしてくれる、と国民の誰もが思っている。自分が何かしなくても、誰かがどうにかしてくれるはずだ、してくれなければならない、と皆が思っている。うんざりするような事件をテレビは今日もがなり立て、それを見て暗い未来の予測合戦に明け暮れる。自ら動こうとしない人々が多いように思われる。

 「未来を『予測』する最良の方法は、それを発明することだ」とは、パーソナル・コンピュータの提唱者の一人、アラン・ケイの言葉である。

 誰が未来を発明するのか。それは政府であり、政治家であり、そしてなによりもこの国で暗い顔をして今日をやりすごしている国民自身だ。政府に、政治家に、そして国民自身に、未来を発明する意志や意欲はあるのだろうか。

 生き抜く意志は熱く、そのための知恵はクールでなくてはならない。だが日本において、なぜか意志も知恵も生ぬるい。先述の、日本が置かれた恵まれた環境が、ぬるま湯状態を産んでいるのだろうか。「だれかがどうにか」してくれる、と他人まかせで済まそうとする依存の社会文化も一役買っているのだろう。だがしかし、すでにぬるま湯は冷めてしまった。グローバル化により否応なく大競争時代にたたきこまれたし、少子化や貧困による意欲低下により自らの体温も内側から下がってきている。今こそぬるま湯から出て、自らのうちより光と熱を発さなければならない。

6)知恵

 熱い意志と冷静な知恵は互いに切っても切れない関係にある。意志のないところに知恵は生まれず、知恵あるところに道は開ける。そして知恵は意志が熱くなりすぎたときには暴走をコントロールする。意志が馬で知恵が騎手ならば、馬がどこまでも猛々しく、騎手があくまでも冷静であれば、馬と騎手はどんなに遠いところだって行けるだろう。

 仮に熱い意志があったとしても、熱い意志だけでは暴走してしまうことがある。意志が暴走し、冷静な知恵がコントロールを効かせられないことについての警鐘は80年前にもならされている。

 今から80年前の1929年、ジャーナリストで評論家の清沢洌は、日中関係についての評論の中でこう述べた。「愛国心算盤珠(そろばんだま)にのるものにせよ」。

 1891年に長野県に生まれた清沢は、1906年にアメリカに移民した。アメリカでは在米日系紙の記者をしていた。1918年に帰国したが、『中外商業新報』(後に日本経済新聞)に入社、その後『東京朝日新聞』に移った。同紙退職後もフリーランサーとして評論を行った。
愛国心の悲劇」と題されたその評論の中で、山東出兵にかかる費用を3780万円、加えて出兵により損なわれる日中間貿易の損を2億円程度、それに対し得られる権益を350万円以下と見積もり、経済的にみて山東出兵は割りにあわないとした。

 山東出兵の道義的・歴史的意義についての判断は別として、熱い意志は「算盤珠に乗る」ものでなくてはならない。

 「算盤珠に乗る」という言葉は、政治とはすなわち国家経営である、という松下幸之助の言葉とあい通じる。政治は理想や愛国心といったいさましい話題を語りたがる。だがそれだけでは国家が肥大化するばかりで、暴走の結果国民を不幸にしてしまいかねない。「算盤珠に乗るのか」、国家経営としてみたときにその愛国心は国民を幸せにするのかと問うのが冷静な知恵というものだ。

 政治も経済も混迷し、日本の未来が見えない今こそ、熱い意志を奮い立たせ、冷静な知恵をたくわえよう。なにもせず、誰かがどうにかしてくれるとたかをくくって流されていたら、その先は衰退しかない。熱い意志と冷静な知恵で、消滅でもなく、『平成三十年』でもなく、『21世紀の日本』を目指したいものである。

参考文献

国民生活に関する世論調査(平成20年6月調査) 内閣府大臣官房政府広報室
村上龍希望の国エクソダス』2000年 文藝春秋
堺屋太一『平成三十年』2004年 朝日新聞社
松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』1976年 PHP研究所
平成20年版 少子化白書
J-CASTニュース2007年6月30日湯浅誠氏インタビュー
湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』2008年 岩波書店
山本義彦編『清沢洌評論集』2002年 岩波書店
北岡伸一清沢洌 外交評論の運命』1987

松下政経塾レポート2009年を再掲 元サイトはこちら↓)

www.mskj.or.jp

差異と歳ー君は『機関車トーマス』の汽笛を聞き分けられるか?(R改)

親戚の小さな子どもと話していて、『機関車トーマス』の話になり驚いた。
「トーマスの汽笛はなんていうの」と聞くと、「えーとね、クックー」、「じゃあゴードンは?」と聞けば、「コッコー」。「パーシーは?」、「パーシーはキッキー」。
 大人にとっては同じに聞こえる様々な機関車の汽笛の音を、すべて聞き分けているようなのだ。

 

考えてみれば子供にとっての世界というのは限られていて、その中で日々処理する情報の数も限られている。このため、大人は無視してしまうようなちょっと差異も、子どもにとっては大きな意味を持つ。

逆に言えば、大人になればなるほど処理すべき情報は増えていき、それに対して処理する時間は限られてくる。
 少ない時間でできるだけ多くの情報をさばこうとすれば、「クックー」も「コッコー」も「キッキー」も、全部同じ「汽笛の音」という認識の箱に放り込んで処理していかざるを得ない。

 

もちろん生活の中での重要度という問題もあり、それぞれの人の中で重要な事項というのは他者にとっては同じようでも繊細に区別していかなければならないこともある。

例えば、自分に縁遠い世界のものはみな似て見える。
AKBにあまり関心のないぼくにはメンバーが皆似て見えてしまうし、力士の顔もみな一様に「お相撲さん」に見えてしまう。

最近それを実感したのは経済雑誌「プレジデント」をパラパラと読んでいたときで、出てくる経済人の顔が皆、「大前研一」に見えてしまうのである。メガネを外した大前研一、白髪の大前研一、老けた大前研一、若い大前研一、やせた大前研一…、大前研一のオンパレードだった。

 

逆に、自分に身近な事象ほど差異に敏感になる。

自分の仕事や日常生活に関係することでは、他人にはどうでもいい差異を区別し呼び分けることになる。

日本人にとっては「マグロ」と「タイ」は違うが、SUSHIに興味のない外国人にとってはどちらも「FISH」だ。まあ、昔よく聞いた「雪が重要な意味を持つイヌイットの生活では、さまざまな形態の雪を100通りもの単語で呼び分ける」というのは都市伝説らしいですけど。


なにはともあれ、歳を重ねるにしたがって処理すべき情報は増え、残念ながら情報処理をする脳の働きは衰えていく。そうすると細かな差異はどんどん無視せざるを得なくなり、大人になったぼくはもう、AKBの各メンバーの差異どころか、AKBとNMBとHKTの違いも分からない。
 

歳を取ればとるほど加速度的にいろいろな出来事の差異はどうでもいいものとなっていき、いつしか昨日と一昨日と一年前の差もどうでもいいものになり、家族と他人の違いだってどうでもよくなっていく日が来る。

そうしてその先、物事の差異はさらに急速にどうでもよくなって、光も闇もたいして差のないぼんやりとした薄明りの中で、有と無や生と死の違いすらどうでもよくなって、此岸と彼岸の境目、刹那と永遠の間で、いつの間にか存在自体が発散していく日がやってくるというわけだ。
 コッコー。
(FB2013年1月31日、2017年2月13日を加筆再掲)

 

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イスタンブール、1996年冬(R改)

その晩もイスタンブールは寒くて、ぼくらは日本人旅行客が集まる安宿、いわゆる「ジャパ宿」の二階の廊下にあるストーブの周りに座ってだらだらと話をしていた。
自分の部屋に帰ってもやることもないし部屋には暖房もないから心底冷える。
そもそもが部屋と言ったって大部屋も大部屋、部屋にどんと置かれた6つの二段ベッドのうちの一つの下の段だけが自分の占有スペースだ。
そんなところにいるくらいなら廊下の擦り切れた赤いカーペットの上でストーブの火を眺めていたほうがよほど良い。

 

芸大生の二人組の片割れがぽつりぽつりと言う。
「日本の寺なんかの建築には静けさを感じるんだ。無音で、ただそこにたたずんでいる。
ヨーロッパの石の建物、キリスト教の教会っていうのは、あれは音楽だね。
モスク、こいつには数学を感じる。あれはそのまんま数学だ」
彼の言っていることはさっぱりわからなかったが、虚勢を張ってぼくはうなづいた。
アヤソフィアやブルーモスク、スルタンアフメット・ジャミイは数学そのものなのか。

わからん。

 

芸大生は続けた。
北アフリカの村に5か月いたんだ。漆黒の肌を見たかったから。
途中で気付いたんだ、あ、おれってバカだって。
漆黒の肌の人たちってのはもっと南のほうのアフリカじゃないといないんだ。

北アフリカの人たちの肌ってのはもっと浅黒いからね。
でもめんどくさくなって、そのままその未開の村に居続けた」。
グーグルもウィキペディアもないころの話だ。

 

「おれがその北アフリカの地で会った奴の話。
そいつは小さな店をそこでやっていた。
おれが、なんでこんなところで商売しているんだってきくと、奴が言った。
『おれの金ではこの国に来るのが精いっぱいだった。でもおれの国よりはいい』。
奴はそうやってその国で成功して、また次の国へステップアップするつもりなんだ。
この次はどの国へ行くんだ。おれがきいた。
聞いたこともないような国名が返ってきた。
その次はどこに行く?まただ。また知らない国の名前。
その次は、その次は、と聞いていくと5つくらいの国の名のあと、奴は言った。
『アメリカ、そこが最終目的地だ』。
おれは聞いた。
その時、お前はいくつだ?
奴が答えた。
『わからん』、と」

 

しばしの沈黙。

 

四十歳過ぎの男性とともに旅をしている謎の美少女がぽつりと言った。

「日本だと首から下げるものは何でも売れるの」

男性と一緒に旅をしながら、イスタンブールのバザールでネックレスやナザール・ボンジュウを仕入れて日本で売るらしい。

数十円の原価で仕入れたものが、エスニックな雑貨店で千円とか二千円で売れていくそうだ。

目玉の形をした青いガラスのお守り、ナザール・ボンジュウのご加護だろうか。

 

あのころには街のあちこちに怪しい外国人のアクセサリー売りがいた。

ずいぶん前から見なくなったけど、イスラエルからの若者が多かったらしい。イスラエルには社会人になる前に世界を放浪する通過儀礼的な風習があるとかいうのを何かで読んだ。流浪の旅を強いられた祖先の経験を体感する意味があるとかないとか。

そうした世界放浪する若者を受け入れる体制も各国で整っていて、当時の日本だとそうした街角のアクセサリー売りは旅の小遣い稼ぎの一つだったようだ。

東南アジアで安く購入したアクセサリーをじゃらじゃらつけて「個人の持ち物」として無税で日本に持ち込み高く売って旅費の足しにする。「地回りの方々」にも話をつけていて、いくばくかを払って商売していた。

あのころは街に、偽もののテレホン・カードを十枚いくらで売るイラン人もいたなあ。閑話休題

 

イスタンブールの冬の空の下、「ジャパ宿」のダルマストーブが燃える。夜はふける。

謎の美少女は話を続ける。

「ヒッピーの人たちって面白いの。いまだに『いのちの祭り』とかやってるし」

12年ごとのドラゴン・イヤー、辰年に行われるカウンターカルチャーの野外イベントが『いのちの祭り』だ。1986年のチェルノブイリ原発事故がきっかけになったもので、1988年は八ヶ岳で開催されて約1万人が集まった。WIRED誌2012年11月30日の記事でさっき知ったばかりだけど。

ふと誰もが口をつぐみ、見えない天使がぼくらの間を通っていった。

もう何回目かの、沈黙。

 

「ハッピ・バースデー・トゥー・ミー、ハッピ・バースデー・トゥー・ミー」

突然調子っぱずれの歌が階段の下から聞こえてきた。

「ハッピ・バースデー・トゥー・ミー」

歌の主が階段を上ってきた。ジャパ宿で働くイスタンブールの若者の一人だ。

どうしたの?と誰かが聞く。

「彼女から連絡が来たんだ、やり直したいってね」

彼女?

「出稼ぎに行っていたドイツで知り合ったんだ。彼女はドイツ人なのさ。

もう何年も連絡がとれなかったけど、数年ぶりに電話が来たのさ。

ああ最高だ。ハッピ・バースデー・トゥー・ミー」

それはおめでとう。みな、口ではそう言いながら、それほど表情を変えることはない。

 

「長旅をしているとね」

もう1年以上ユーラシア大陸を一人で旅しているという女性が言う。

「“エア・ポケット”がいくつかあるの。
なんてこともない、名もない小さな町なんだけど、旅行者はそこで足を止めてしまう。

あれ、俺なんで一生懸命旅をしているんだっけ。

旅をして何の意味があるんだろう。

日本に帰ってなんになるんだろう。

“エア・ポケット”ではそんな思いにとらわれてしまう。

前に進む気が無くなってしまう。かといってその町に興味があるわけでもない。

ただただ無為にそこで日々を過ごしていく。そうやってずぶずぶと“エア・ポケット”に沈んでいくのね」

 

再び、沈黙。

 

芸大生の名前は聞き忘れた。四十男と美少女のカップルの名前も知らない。
トラムを降りてアヤソフィアとスルタンアフメット・ジャミイを横目に下りていく坂の途中にある、そのジャパ宿の名前はハネダン・ホテルといった。
今もまだあるのかは知らない。
アメリカを最終目的地にして小さな店をしていたというそのアフリカの男がどうなったかも、もちろんぼくが知るはずもない。大統領が変わってからというもの、アメリカの入国は厳しいようだけど、彼は無事にアメリカで商売できているのだろうか。

イスタンブールの若者は、ドイツ人の彼女と再会したのだろうか。

すべてはイスラム国もメールやSNSも、トランプ大統領もまだない、1996年のこと。

寒い夜に、ふと思い出しただけの、なんでもない話。
(FB2014年2月19日を加筆再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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知恵者の話ーメイク・トゥモロー・グレート・アゲイン(R改)

世の中にはすごい知恵者がたくさんいる。
誰もが仕方ないよと肩をすくめるような苦境も、そんな知恵者にとっては自分を試すチャンスだ。
正直うまくいくとは限らないが、叩けばこそ扉はひらかれる。
 

知恵者の話その1.

九州にあるGという会社のK社長にお会いしたのは数年前。
Gはレストランや結婚式場を手広くやっている会社だが、そもそものスタートがわくわくするものだった。
傾きかけた旅館のあとつぎだったK社長は、まわりの農家が規格外で出荷できない野菜をもてあましているのをみてふと思い付いた。

 

「誰も買ってくれない野菜だったら俺が買ってやろうじゃないか」
農協にだけ出荷していて日々の現金収入があまりない農家は、お金にならない規格外の野菜が現金になるなら大歓迎と格安でK社長に野菜を譲ったそうだ。若きK社長は自ら軽トラックを転がし山々を回って長すぎるニンジンや割れたキャベツ、形の悪いトマトを買い集めた。

 

買い集めた規格外の野菜の山を前に社長は腕を組んで考えた。
さてどうしたもんだろう。料理長はこんな形の悪い野菜を半端な数渡されても困る、こっちは前々から献立を考えてるんだし、勝手な真似をしてもらってもね、と渋い顔だ。普通ならここで引き下がるところだがK社長は違った。

 

あるものでなんとかやってくれ。
腹をくくって料理長を説得する。自分が板前の修行をしたからこそ説得できたという。
かくして規格外の野菜をメインにした、バイキングスタイルのレストランが誕生した。
バイキングスタイルなら途中で材料の野菜が切れてもメニューを変えればすむ。
見た目の揃った料理を人数分並べる旅館のやり方とは真逆の方法だ。
原材料は形こそ規格外だがまさに地産地消の新鮮そのもの。
入荷する内容によってフレキシブルにメニューが変わるのもリピーターにとってはかえって嬉しい。
かくしてGは店舗を増やし今では都内にも店が出ている。

 

知恵者の話その2. 

売上倍増中のタタミ屋の話を以前にテレビで見たことがある。これもまた、知恵者の話。

 

残念ながらタタミ屋は斜陽産業だ。
そんなタタミ屋で売上倍増なんてどういうカラクリか興味津々で番組を観ていたら、その理由は大変理にかなったものだった。
深夜営業なのである。

 

生活の洋式化で、一般家庭でのタタミのニーズはどんどん減っている。
けれども視点を家の外に向けてみると、まだまだタタミのニーズはたくさんある。
飲食店のお座敷だ。和食系外食チェーンに居酒屋、寿司屋に鍋にうどん屋そば屋。
一店舗で何十畳ものタタミが使われている。

 

繁盛店ほどお客が出入りしタタミは汚れてすりきれる。
今まではタタミの入れ替えのときには営業を休まなければいけなかった。昼間しかタタミ屋が来てくれなかったからだ。

 

だがしかし牧歌的な時は過ぎ、今は激しい競争の時代だ。
ライバル店に負けるわけにいかない飲食店側は一日たりとも店を休みたくない。タタミの張り替えのために一日臨時休業すれば、何万何十万の売上を失い、客が他店に流れる。そんなときに深夜営業のタタミ屋ならば、夜の営業が終わり次の日の昼間の営業が始まるまでに全部タタミを張り替えてくれる。
タタミ屋側も一気に何十畳とタタミが売れる。

 

なんて頭のいい人がいるんだろうとぼくはテレビを見ながら感心した。働く側のタタミ職人サイドからしたら深夜に働かされるのは勘弁というのが本音かもしれないが。

 

社会が便利になり過ぎるのも考えものではあるが、きっとまだまだこれからもそういう知恵者が活躍していくんだろうなあ。

 

こんなふうに、ぼくは知恵者の話を聞くとわくわくする。
どこかの誰かが考えた新しい知恵が、停滞な今日を素敵な明日に変えていく。

(FB2015年2月17日、20日を加筆再掲)

 

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