嵐に吹かれて

 
ふと思い立って山形観光中。
山形に来ようと決めたのは直前だったがよもや秋の京都でもあるまいしと思ったのが大間違いで、宿が取れない。
嵐のせいである。

なんでも宮城県で嵐(荒らしでも気象現象でも、ましてや炎のコマでもなくアイドルのほう)がコンサートをやるらしく、宮城県だけではホテルが足りないので山形まであふれてきているのだそうだ(山形新聞9月17日)。
このコンサートの来客数は約20万人だそうで、なんともすごい集客力、さすがはジャニーズ、ゆずれないよ 誰もじゃまできない 体中に風を集めて 巻き起こせA・RA・SHIと言ったところだろうか。

嵐のおかげで山形県も波及効果があって良かった、やっぱり地方創生は集客力のあるイベントだよね、といかないのが地域おこしの難しいところ。
嵐の陰で懸念されるのがリピーターの取り逃がしである。

この連休、山形市では「第27回日本一の芋煮会フェスティバル」が行われた。
直径6mのおおなべに3トンの里芋と1.2トンの牛肉などなどで芋煮をし、たくさんの来客に振る舞う。
調理で使うパワーショベルは衛生のため毎回新品を購入し、機械油を全部洗い落としてバターやマーガリンを潤滑油として使う(公式HP)というからクレイジーだ。

そんなクレイジーに惹かれて毎年20万人もの人がこの芋煮会に集まるのだが、今年は前述の嵐のコンサートの余波で宿が取れなかった人もいたのではないか。

ここに地域おこしの難しさの一端を見ることができる。
常連客をとるか一見さんをとるかという問題だ。
一見さんをたくさん集めるにはどでかいイベントを打つのが効果的だ。
しかしどでかいイベントでその地域に来る観光客は、みながみなその地域のファンとなりリピーターになるわけではない
ひところ大流行りした「街コン」が最近下火なのもそこらへんに理由がある。
「街コン」のときだけ人が集まるが、そのあとパタリと人が来なくなるのだ。
大陸からの観光客誘致に力を入れて大成功したデパートやホテルや観光地が、それゆえにひっそりと良質の常連客を失っている事例もあるだろう

一見客目当ての一過性のイベントでの地域おこしは麻薬のようなものだ。
嵐のコンサートで宮城県が20万人集客したなんて聞くと「ぜひ我が町にも嵐を」なんて思ってしまうかもしれないが、まかりまちがうと 嵐を起こして全てを壊すの、なんてことになりかねない。
一見さんの客を取りにいった結果常連客に逃げられて、「君は素敵だから一人で平気さ 明日になればまた新しい客に出逢えるだろ」なんて言われてからでは遅いのである。

もちろん今回の嵐のコンサートは地域おこしのためのものではないし、日本一の芋煮会などはまさに地域おこしイベントそのものだが、土地の魅力とイベント内容が一体となり毎年開催することでリピーターを作り出している。
土地の魅力と一体になったイベントとして、おそらく夕張の映画祭やフジロックも挙げられるかもしれない。

しかしいずれにせよ、地域おこしの目玉としてイベントを主眼とする時代は過ぎ去りつつあるのではないか。
人口減少社会の中で、対策として交流人口を増やす、みたいなことがひところずいぶん言われたが、最近はあまり聞かない気がするがどうだろうか。
水墨画の世界では、良い絵を評するに4段階の言い方をすると聞いたことがある。

一番はじめは「行ってみたい風景」。
「この絵に描かれている場所に行ってみたいものだ」と言われたらまあ及第点。

その次に良い評価は「遊んでみたい風景」。
「こんな風景の場所でしばし遊んでみたい」と言われたら画家はちょっと喜ぶ。

さらに良い評価は「住んでみたい風景」。
「この絵のような風景のところに住んでみたい」というのは、水墨画の場合かなりの高評価だ。

そして水墨画における最上の評価は、なんと「死んでいきたい風景」。
自分が描いた絵を見た人が、「…ああ、出来ることならこんな土地で死にたいなあ。こんなところに、骨を埋めたい」と嘆息したならば、これ以上の褒め言葉はないそうだ。

何年も前に、朝日新聞土曜版で読んだ話で、うろ覚えだが、「行きたい土地、遊びたい土地、住みたい土地、死にたい土地」という格付けランキングは、妙に頭に残っている。

山形の話からずいぶん遠くまで飛ばされた。
酒も飲んでるしもういっちょ飛ばされて、これからもずっと、「何があっても、最期はこの国に骨を埋めたい」と思われるような日本であることを切に願いつつ寝ることにしよう。