このことに気づかせてくれたのは飯田泰之著「ゼロから学ぶ経済政策ー日本を幸福にする経済政策のつくり方」(2010年 角川oneテーマ21)であった。
飯田氏は同書の中で経済学についてこんなふうに書く。
<(略)どうしても「経済学者はなにかというとカネカネ言うけど、世の中お金だけじゃない」という反応をされてしまうかも知れません。しかし、経済学者は「お金だけが大切」とか「お金さえあれば幸せ」なんて話はしていないのです。明確な目標に出来て、それゆえに具体的な対策がつくのがお金の問題だ。だからまずはお金に関する幸福度を上げることから始めようじゃないか(その他のことは別途、そして並行してその分野の専門家が考えればよい)というわけです。>(上掲書p.22)
<それでもなお「やっぱり経済成長よりも人間の幸福が重要ではないか」という反論があるかも知れません。例えば、「経済学者は『みんなにとって悪いことじゃないから経済成長』だと言う。しかし、政策の目標が幸福を目指すということなのであれば、それは必ずしも経済成長を目指すこととイコールではないはずだ。むしろ経済成長を犠牲にしてでも、もっと我々が幸福に暮らせるような社会を目指すべきなんじゃないか」といった批判が典型でしょう。しかし、このように倫理的で、そして一見尤もらしく聞こえる言葉ほど、よくよく気をつけなければなりません。
経済成長とは別の幸せがあるーこれは当たり前のことでしょう。それを否定する人は(経済学者も含め)いないのではないでしょうか。まったくもって正しいがゆえにこの言及には意味がないのです。「カネだけが幸せではない」「カネがあっても幸せとは限らない」という主張から「カネがあると幸せになれない」という主張は導かれません。
「経済成長をしても”別の幸せ”は特に下がるわけではない」ならば経済成長はあった方がよいでしょう。つまりは、他の事情を一定として経済的な豊かさが向上するならば、それはすばらしいことなのです。>(p.23-24)。
<他の事情を一定として>というのがキモで、もしお金を稼ぐために何かを犠牲にしなければならないなら話は変わってくる。つまり、お金は稼げるが過労死するほどの激務とか、家族や友人と過ごす時間すら売り払ってお金を得るなどは別の話だが、「他の事情が一定ならば」お金はないよりあったほうがよい。
冒頭の民主主義と独裁を比較する話も、「他の事情を一定にして」論じなければならない。
経済学では、「他の事情が一定ならば」お金はあったほうがよい。
お金で買える幸せは限られるが、お金で回避できる不幸はたくさんある。医療機関で働いていると毎日痛感させられる。
マクロ視点でみると富はあるに越したことはないのだが、しかしミクロで見るとそう単純に語れないところがおもしろい。
お金というものが発明されて以来、このマネーという奴は人間の悩みの種で様々な喜劇と悲劇を生み出してきた。
黒人音楽ブルースの主題で一番多いのは愛でも恋でも性でもなく、「マネー」だという(テレビ東京の番組「タモリの音楽は世界だ」で昔言っていた)。
日本文学の世界、特に諧謔文学でも、ありがちなネタしか無くて展開につまったら「それにつけても金の欲しさよ」とつけておけばよいといわれている。
すなわち、「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音/それにつけても金の欲しさよ」とか「秋深し 隣は何を する人ぞ/それにつけても金の欲しさよ」とか「まっすぐな道で さみしい/それにつけても金の欲しさよ」とかいった感じである(後ろの二例はなにかやらかしそうな気配がぷんぷんするが)。
こんなふうにたいていの場合、人間というものはマネーが無くて困るが、ありすぎて困ることもある。
シェイクスピアの『リヤ王』は、持てる者の悩みでもある。
遺産争いではなまじお金があるがゆえに親族同士血で血を洗う争いになる。
宝くじにあたった途端、会ったことのない親戚や親友がわんさか現れて身ぐるみはがされる。
アメリカで高額宝くじに当たった人は高率にその後自己破産するというし、MCハマーや多くのヒップホップスターたちも大金稼いで身を滅ぼした。日本だと小室哲哉や沖縄の歌姫の物語もある。
あればあったで困る、なければないでもっと困るというのがこのお金という存在なのだ。
人生に必要なのは希望と勇気とサム・マネーとチャップリンも言う。
サム・マネー、少しばかりのお金というのがチャップリンの憎いところで、これがつかむぜビッグ・マネーだったら浜省である。
ドンペリニヨ〜ン。
独裁と民主主義の話をしていたらいつのまにかマネーの話になってしまった。主義=イズムが使い手次第であるのと同様に、マネーもまた活かすも殺すも使い手次第だ。
そんなわけでもし悩みの種になるほどのマネーがある方がいたらぜひご一報いただきたい。
ひとの役に立つことこそ我が喜び、責任もって誠心誠意、ぼくが処理して差し上げたいと思う。