科学と建設的批判精神について(再掲)

梶田昭著『医学の歴史』(講談社学術文庫 2003年)を読んでいて、はっとさせられる一節にであった。
明治時代政府の招聘により来日し、26年間東京大学で内科教授の一人として活躍したエルウィン・ベルツが行ったスピーチの内容である。
孫引きではあるが、ここに引用してみたい。

  『私の見るところでは、西洋の科学の起源と本質に関して、日本ではしばしば間違った見解が行われている。科学は有機体であり、それが育ち、繁栄するには一定の気候、一定の環境が必要である。西洋では何千年もかけてこの有機体が培われてきた。[(明治維新以来)この三十年間に西洋各国から来た教師たちは]科学の樹を育てる人たるべきであり、またそうなろうと思っていたのに、かれらは科学の果実を切り売りする人として扱われた。日本人は科学の成果を引き継ぐだけで満足し、その成果を生み出した精神を学ぼうとしない。』

(梶田昭『医学の歴史』講談社学術文庫 2003年 p.310-311。( )内は補足)

ここでいう科学の成果を生み出した精神とは何か。
おそらく、建設的批判精神ではないだろうか。

目の前の出来事をただ受け入れるのではなく、疑って疑って疑ってかかる。
そうしてとことんまで疑って、それでもどうやっても否定できないものがあれば、それが真実であろう。
砂の中から砂金をより分けるような気の遠くなるような粘着質の作業。

誰かの言ったことを鵜呑みにせず、徹底的に批判してそれでもゆるぎないものを残す。
意見と批判がぶつかって、新たなものが止揚され生まれてくる。

そういう「一定の気候、一定の環境」の中で何千年もかけてようやく科学の果実が得られているのだ、そうベルツは言いたかったのではないか。
にも関わらず、その「一定の気候、一定の環境」に目をむけず、予算と期限(いずれも潤沢とはいえないほどのもの)さえ与えておけば科学の果実は手に入るというような感覚は、上述のベルツの演説から110年経った今でも日本の中にあるのではないだろうか。

時に弱点と美点はコインの裏表である。
目上の者を立て、相手の気持ちに配慮し、メンツを尊重するという日本人の美点は、感情に流され合理的判断や建設的批判に手かせ足かせをするという弱点にもつながっている。
権威者の発言に異を唱えにくい精神風土の中では、科学の大樹は育ちにくいかもしれない。
もっとも、教会の権威によってガリレオがつぶされそうになったのもたかだか四百年足らず前だし、最後の魔女狩りが行われたのは20世紀だというから、西洋も偉そうなことは言えないが。

長いので続きます。
(FB2013年7月17日を再掲)

 

 

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