科学と建設的批判精神2(再掲)

明治時代のお雇い外国人、ベルツのスピーチに触発されて思うことを昨日書いた。
ひとことで言えば、日本に科学の大樹を育たせるために足りないのは建設的批判精神の土壌ではないか、ということだ。

イギリス・エコノミスト誌編集部の編んだ「2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する」(文藝春秋 2012年)では、2050年にどこの国で科学が発展するかについてこう述べている。
前途有望なのは中国ではなくインドだ、と。
なぜなら、「科学は、権威に従うのではなく挑むことで進展する。」(上掲書 p.346)。
中国は科学の進展のためには権威主義的でありすぎ、日本もまた然りだとエコノミスト誌の科学担当エディター、ジェフリー・カーは言う。
ノーベル賞の日本人受賞者が人口や経済規模、技術水準に比べて少ないのは、「日本の若手科学者が先達の理論に迎合しがち」なせいであると彼は書いている。
日本では先達の理論に迎合してキャリアがスタートするが、「欧米では旧来の理論を否定することでキャリアが築かれる」のだという(「」内は引用)。

カーが述べるように、ことは単に科学の発展にとどまらない。
建設的批判がしにくい風土の中では合理的判断や革新的産業も生まれにくい。
ひとえに科学だけの問題ではなく、そうした精神風土の中ではビジネスや政治の形も歪んでいく。
オールドファッションな言い方だが、科学もビジネスも民主主義も西洋で生まれ育ったもので、根っこは建設的批判精神という土壌をもっとも好むのであろう。

繰り返しになるが、建設的批判が成立しづらいというのは日本の最大の弱点の一つである。

さて、ではどのようにして美点を残しつつこの弱点を克服することができるだろうか。
もちろん、立ち位置によってとるべきアクションは変わってくる。
権威者、批判者、そしてその両者をつなぐ中堅・中間層に分けて論じたい。

当たり前であるが、権威者たる立場にいる者には度量の広さを期待したい。
批判的質問をぶつけられたとき、脊髄反射的に「good question」といえるかどうか、すべてはそこにかかっている。
そうすることによって新たな見解も生まれてくるし、意見の異なる者を門前払いせず、むしろそうした者たちを積極的に取り込んでいくことで、自らの影響力のウイングを広げていくことができる。
辺境の異教徒の神を次々と飲み込んでいき、豊饒たる神話体系を作り出したギリシア神話のごとき態度を、権威者には望みたい。

では次に、批判者はどういう戦略をとれるだろうか。
年功序列社会である日本では、批判者たる立場には若手が立つことが多い。
権威者、年長者の意見に対し正面切った批判をするのは心情的になかなか難しいが、残念ながら革命的手口というのはない。
根回しやへりくだった質問形式の批判、冗談混じりの問いという今一つすっきりしないやり方が現実的なのだろうか。

30代半ばに、日本を代表する大企業の部長の方々にダメだしをする場を経験した。
社外研修の一環として部長の方々が社会問題解決のためのプランを考え、それをプレゼンテーションするというプログラムに、審査員として呼ばれたのだ。
40代後半~50代の大会社の部長の面々にどうダメだしをするかなかなかにやりにくかったが、苦し紛れにこう切り出した。
「アメリカや中国では、20代や30代の投資家たちが容赦なく大会社のプランにダメだしをするそうで、それがそれぞれの国のダイナミズムの元だそうです。
ついさっき、ピザを食べてコーラを飲んできました。
今日は身も心もアメリカ人になりきって、心を鬼にしてダメだしさせていただきます」。
おかげで変人の称号とともにスムーズに批判の自由を手に入れることができた。
「困ったときのアメリカ頼み」は個人レベルでも有効のようだ。

では、権威者と批判者の間、中堅・中間層はどうするか。
中央官庁では、現場を知りつつ裁量権もある課長補佐の仕事がもっとも面白いという。
ほかの組織でもある程度の権限を持ち、議論や会議を取り仕切る立場である中堅・中間層にぜひ期待したいことがある。
発言と発言者の切り離しと、「悪魔の代理人」制度の導入である。

というわけで、あと一回だけ続きます。
(FB2013年7月18日を再掲)

 

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