最善の未来予測とは(再掲)

 このあいだ「2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する」という本を読んでいたら、最終章が「予言はなぜ当たらないか」だったので思わず笑ってしまったのだが、
気を取り直して未来の予測について考えてみたい。
 同書では、予言がはずれる理由として大きく二つ挙げている。

 一つは、良いニュースは目立たず、悪いニュースだけが人間の記憶に残りやすいから、というもの。
 そのため、現実論や楽観論の予測は忘れさられ、もっとも悲観的な予測のみが人々の記憶に残る。
 悲観論が人の心に残りやすい、ということは新聞報道などでも応用されていて、
昔から新聞は「ニッパチの法則」といって、いい話2割、悪い話8割が紙面のベストミックスとされているそうだ(なにで読んだか忘れてしまったが)。

 予測/予言が外れる理由の第二は、人間が対策を講ずるということを無視しているため。
 雨が降るなら傘をさし、戦争が起こりそうなら和平工作をするのが人間であるが、そこらへんを無視しているからこそ予測は外れるのだという。
 予測が対応を産み、対応が予測を変化させるのが現実の世界なので、
未来予測はなかなか当たらないわけである。

 また、同書では、現実の世界の変化は直線的に起こるのではなく突発的に起こること、革新は構想や計画によっておこるのではなくやみくもな試行錯誤によって起こることなども挙げている。
 ここらへんの話は、生物の進化が同じスピードで徐々に起こったのではなく、ある時期爆発的に起こりその中から適者が生き残った、という「カンブリア爆発」を思い起こさせる。
 
 未来予測や未来学、というものは第二次世界大戦ころからアメリカのRAND研究所などで相当頻繁にやられて、たどりついた結論が「未来を完全に予測するのは無理」という身もふたもないものだったらしい。
 重複するが、関係する要素が無数にあり、しかもそれが相互に関係しあっていること、予測と対応が影響しあうこと、大地震など突発的なイベントが状況を一変させることなどがその理由だ。
 そこで単一の未来予測を試みるのではなく、無数の変数のうち重要なものをいくつか固定化して、それぞれの場合に応じて対策を講じる手法が生み出された。
 いわゆるシナリオ・プランニングである。
 これは、状況Aならこうした対応が、状況Bならこの対応、というシナリオを複数用意しておき、それによってそれぞれの状況で最善の結果を生めるようにする手法であり、石油会社の経営計画や、自治体の計画などにも利用されている。友人Nによれば、シンガポール政府などもこのシナリオ・プランニングを積極的に行っているとのことである。

 未来予測というのはなかなか当たらないものだ。
 かといって、「未来のことなんか誰にもわからないよ」と嘘ぶいて、その場その場での対応に終始するのも芸がない。
 だが、未来がわからなくても自分がどうするかは決められる。
 「未来を予言する最良の方法は、それを発明することである」、とアラン・ケイも言っている。
 いったい誰なんだアラン・ケイ

 この話に関して、以前お会いしたある元市長の言葉が心に浮かぶ。
 すなわち、「明日のことはわからないけれど、あさってのことはわかる」。
 つまり、今日の延長としての明日は不明確だが、将来こうありたい、こうあうべきだ、というあさって=理想の姿、とはわかるはずだ、
 もしそのあさって=理想がわかるならば、今日=現実とあさって=理想のギャップを埋めるべく、明日を形作っていけ、という話であった。
 はじめは正直なにを言っているのかわからなかったが、今ではぼくの心の指針の一つとなっている。

まとめ:未来の話はあさっての方向に飛ぶ。
(FB2013年3月7日を再掲)

 

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