参議院選挙が終わった。
選挙の時、候補者は選挙区中を駆け巡り、政策を訴えつつ出来るだけ多くの有権者と握手をする。選挙の時に限らず、政治家はやたらと握手をしたがる傾向にある。
こうした握手を求める姿勢を形式的・表面的と冷やかに見る向きもあるが、有権者の一人として候補者や議員さんとの握手を経験すると不思議と「この人は悪い人じゃないんじゃないか」という感覚が湧いてくる。そうした感覚が土台となって支持者は増えていくので、選挙活動・政治活動において握手というはバカにできない。実は、「選挙ではできるだけ多くの有権者と握手をする」のは選挙の基本なのだ。
さて、この握手という行為はもちろん日本古来のものではない。
だからこの選挙・政治活動における握手というのは、明治になって近代的な選挙が行われるようになってから今までの間に誰かが始めたのだ。
果たして誰が、いつから日本の選挙・政治活動における握手を始めたのか。政治にかかわる人でも知らない人がいるが、ここに興味深い記述がある。
中曽根康弘著『自省録―歴史法廷の被告としてー』(新潮社 2004年)より引用する。ちょっと長いが、この部分を絡めて握手作戦を論じたものは見たことがないのでぜひお読みいただきたい。
1962年2月、ロバート・ケネディが訪日したときのことだ。
<ロバート・ケネディは着いた早々、スケートをやろうじゃないかと言い出します。奥さんも一緒に滑りたいというのです。われわれの常識なら普通、公式行事みたいなことばかりでスケジュールが埋まってしまいますが、彼はそういうものは要らないという。早速、池袋のスケートリンクに行って、奥さんと一緒に滑りはじめます。私たちも慌ててその後にくっついていった。氷の上では若者たちから握手攻めに遭って、それを見て新聞記者が追いかけると、あっという間に人だかりができていきます。そんな光景をわれわれはなるほどと思って見ていました。
それから「できたら、労働組合の幹部に会わせてくれ。それも居酒屋みたいなところがいい」と言うので、当時の労働組合の幹部とロバート・ケネディを居酒屋で会わせました。
こうした場面のインパクトのある絵は、歓迎レセプションなどの決まりきった構図よりはるかにダイナミックで、テレビや新聞に間違いなく載るわけです。十分に日本国民に認知されたロバート・ケネディが街頭に出ると、それを見た人たちが集まってくる。彼は丹念に握手して回ったものです。
私たちはそれを見て、本当に驚きました。街頭で集まった人たちに握手して回ることなど、われわれ日本の政治家はそれまではあまり考えなかった。演説はするが、それだけです。しかし、居酒屋での会合やスケートリンクでの滑り、街頭での握手などを目の当たりにして、アメリカの政治スタイルはこれなんだな、いずれ日本もこれをしなければだめな時代になると痛感したのです。(略)その後の日本の政治家は一斉に握手戦術を採用したわけです。>(上掲書 p.76-77。下線は筆者)
選挙の時の握手やお祭り・イベントにこまめに顔を出すというのはとてもジャパニーズ選挙的であるように見える。だが、中曽根氏の記述が正しいとすれば、握手作戦・お祭りやイベント回りというのはその源流は1962年のロバート・ケネディ訪日だったのだ(他に日本の選挙での握手の起源について資料をご存じのかた、お教えください)。
まあ知っていたからといってどうということはないのだが、それにしても池上彰の質問は意地悪だなー。