「身の丈に合った受験を」萩生田文科相の発言を機に考える、選挙区と政治姿勢

文科相の「身の丈」発言。

みんなが「身の丈」のままだったら世の中現状維持で経済発展もしない。
昨日より今日、今日より明日を良くしたい、今の「身の丈」を越えていこうとするからこそ、少しずつ世の中が発展する。
それを手助けするのが国であり公教育なはずだけれど。

 「身の丈なんか越えていけ 身の程知るのなんか後でいい。 やれるだけやってみろ。 そのために何でも手助けしてやるし、ダメなら何とかしてやる」 大人なら高校生にそう言ってやりたいし、そう言うべきだと思う。 ましてや文部科学省大臣なら。

 

それはさておき、「身の丈」発言で思い出した話がある。

 

「ここらへんの政治風土は面白くてね」
横須賀の喫茶店でとある新聞記者が言った。
「ここらへんの有権者は、地元の祭りに顔出してるくらいなら、永田町や霞ヶ関で仕事してろ、ってところがあるんですよ」
今から10年くらい前の話。

政治家にとって、地元をこまめに回るのが大事、というのはよく聞く話だ。
地域に密着してこそ地元の事情もよくわかるし、地域の要望も聞ける。
なによりも、人間は見慣れたもの聞き慣れたものに親しみを感じるし、頑張っている人を応援したくなる生き物だ。だから常日頃、朝早くから夜遅くまで駅前や地域の会合などで一生懸命頑張っていると少しずつ少しずつ選挙区に支援者が増えて行く。

政治家にとってそんな地元密着が大切だと聞いていたので、横須賀で聞いた「地元より永田町・霞ヶ関」というのはおおいに意外だった。
しかし、横須賀の街を歩いて、なんとなく納得した。
米軍基地である。

 

以下、単なる仮説である。間違っていたらご指摘ください。また良い悪いとかの価値判断は抜きにして、現象としてのみ考えてみた。

 

横須賀の街を歩くと感じるのは、米軍基地の存在感だ。
毎年、米軍基地関係で地元に落ちるお金を考えると莫大な額になるだろう。
昔から米軍基地が存在する横須賀の地元社会では、プラス面マイナス面あるにせよ、米軍基地はあって当然、なくてはならないものであるはずだ。
であるならば、地域の代表である代議士も、親米的な人が選ばれるのも当然で、仮に反米的な考えを持った候補者がいても勝ち抜いていけないはずだ。
横須賀の地元経済において(賛否あれど)米軍が居続けてくれたほうがメリットが大きいのであれば、地域の祭りに顔出すよりも、永田町・霞ヶ関で奔走して日米関係をより強固なものにしてくれる代議士を国会に送り出したほうがよい、ということになる(仮説)。
もしその仮説が正しいとすると、横須賀から選出される代議士は未来永劫、親米的な人になるだろうし、地域よりも国会関係・国際関係に時間的リソースを割くことができるアドバンテージを持つことになる。「外交は票にならない」というが、横須賀などは例外で、米国との外交を熱心にやることが米軍基地から地元経済に落ちるお金を増やすことにつながる、外交すなわち地元対策という選挙区なのではないだろうか。

 

政治家の政治姿勢には、選挙区事情が色濃くでる、という話をしている。

 

そんなことを思い出しながら、ふと「身の丈に合った受験を」という発言の萩生田文科相の選挙区が気になった。
検索すると八王子だそうで、なんというか「絶妙」な感じだ。
都心ほど受験に便利ではないが、離島や山間部ほど受験に不利でもないエリア。
受験に関する不利さがあっても、ある程度自力でリカバーできるエリアではないだろうか。
離島や山間部選出の議員だったら、地域差は「自己責任」なんてことは思わないだろうから、「身の丈」発言は出なかったのではないだろうか。

 

政治家の政治姿勢や思想は、選挙区事情も踏まえるとよく理解できるのではないか、という話でした。

 

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