先日の統一地方選の投票率は残念ながら戦後最低だったという。新聞によれば、市議選の平均は45.57%とのことで、半数以上の人が選挙に行かなかったことになる。
投票率が低いとエキセントリック過ぎる人が組織票で当選してしまったりするのでやはりある程度は投票率が高いほうがよい。しかしながら投票率を上げるための試みというのはなかなかうまくいかないようだ。
投票率が下がる理由としては、個人が投票に行くというコストに対して直接的に得られるメリットが少ないから、ということになっている。
だから投票率アップを目指して商店街と連携したりして、投票に行った人にはおまけをつけたりする。日曜日の自由な時間を投票所に行くために使うというコストに見合うよう、なにかしらのインセンティブをつけるという考え方だ。
これは成功例もあって、ハワイでは、住民投票に来た人は誰でも一大バーベキュー・パーティに参加できてカニとかを食べ放題にしたところ投票率が上がった例があると山形浩生氏がひろゆき氏に話していた(井上トシユキ他『2ちゃんねる宣言』株式会社文藝春秋 2001年 p.260-262。この話はもっと面白い側面があるがそれはまた)。
山形浩生氏は別の媒体で、「一人500円くらいあげたら投票率あがるんじゃないの」と書いていた。
コスト>>>インセンティブという構図が問題なので、投票に行くという時間的・行動的コストを下げるという考え方もある。例えばインターネット投票の導入だ。
だがしかし、このインターネット投票はおそらくうまくいかないのではないかという先例がある。
スイスでは、郵送による投票が行われた(orている?スイス在住の方、現在はどうか教えてください)。
わざわざ投票所までいかなくてよいので投票率が上がったかというと逆で、郵送投票が導入されたら投票率はむしろ下がったのだとか(スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』東洋経済新報社 2007年 p.299-301)。パトリシア・ファンクらの研究である。
郵送投票だと、なぜ投票率が上がるのではなく下がったのか。
<アメリカでもそうだけど、スイスでは「善良な市民は選挙に行くものだという強い社会規範がある」とファンクは書いている。「投票するには投票所へ行く以外に選択肢はないとき、票を投じているのを見られるためだけに投票所に行くインセンティブが働いていた。社会的に評価されたいという願い、社会に協力的な人であると思われることで得られる利益、あるいは非公式な制裁の回避、そういったものが動機であったかもしれない。小規模な地域社会では、住民はお互いをよく知っており、誰が国民の義務を果たしたか、あるいは誰が果たさなかったといったことが噂にのぼるので、社会的規範に従うことで得られる利益はそうした種類の地域社会では特に大きい」。>(上掲書、p.300)
少なくともスイスにおいては、「投票するところをほかの人に見てもらう」ために投票に行くという人がいるわけだ。
しかしながら、うえの話はあくまでもスイスの話である。
「善良な市民は選挙に行くものだ」という社会規範ではなく、「善良な市民は政治や選挙にああだこうだ言わないものだ」という社会規範がある社会では話はまた別なのかもしれない。
もし日本社会が後者の社会規範をもっているとすると、インターネット投票はもしかしたら投票率の上昇をもたらすかもしれない。
しかしながらインターネット上の言説がいわゆる「ネトウヨ」的に過激化・単純化する傾向があることを考えると、インターネット投票が導入されたらさらにエキセントリックな候補が当選してしまうかもしれない。不正選挙の横行を防ぐ手段も限られそうだし、なかなかに悩ましい。
半分まじめに言うのだが、投票率を上げるためにはやはり投票所にポケモンをバンバン出現させて、投票所に行った人がポケモンゲットし放題にするくらいしかない。そうすると投票率はあがるものの「ピカチュウ、トップ当選」という日も近いわけである。うーむ。
まじめな話、投票率を上げるためには「善良な市民は選挙に行くものだ」という社会規範を立てるor/and強化するのが王道なのでしょうね。