世の中には、運がいい人、というのがいる。
普通なら思いもつかないような出会いに恵まれたり、懸賞や宝くじにもバンバン当たる。歩いていればお金も拾うし、たまたまカフェで隣りあった人から大きな仕事の話をもらったりもする。
生まれついてのラッキー・マンやラッキー・ウーマンである彼らは口を揃えてこういう。「いやー運が良かっただけだよ」。
運がいい人っているよな、ああうらやましい妬ましい、生まれ変わったら自分もそんな星のもとに、なんてグチるんじゃなく、「運がいい人」をしっかり研究した人がいる。
イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマン博士である。
この人はもともとマジシャンで、マジックの裏に潜む人間心理の面白さに目覚めてロンドン大学とエジンバラ大学で心理学の研究をし博士号をとった。
ワイズマン博士を一躍有名にしたのが、「運のいい人」の研究である。以下、博士の著書『運のいい人の法則』(角川文庫 H23年)をもとに述べる。
「運のいい人」には何か法則があるのではないか、と博士は考えた。
「運のいい人」の法則を調べるには、「運のいい人」をたくさん集めてきて共通点を探ったり、「運のいい人」グループと「運の悪い人」グループの差を集めたりすればよい。
だがしかし、そもそも「運のいい人」「運の悪い人」なんて非科学的な存在をどう扱えばいいのか。普通はそこで途方に暮れてしまうのだが、博士のやりかたはシンプルだった。単純に、「あなたは自分が幸運な人間と思うか不運な人間と思うか」でカテゴリー分けしたのである(詳しくは上掲書 p.45-46)。
だから厳密には、ワイズマン博士のいう「運のいい人」は「自分が幸運だと思う人」であり、「運が悪い人」は「自分が不運だと思う人」である。
研究にはとっかかりが必要だから、定義づけさえはっきりしておけばひとまずはそれでいいのだ。
次に博士は「運がいい人」は「運が悪い人」よりも予知能力みたいなものがあるのではないかと仮説を立て実証した。
イギリス全土の「運がいい人」と「運が悪い人」に、宝くじの当たり数字を予想してもらったのだ。実験に用いられた宝くじは1から49までの数字を6つ選んで当てるタイプのもので、もし「運がいい人」=予知能力がある人であるならば、全英「運のいい人」グループが選んだ数字は当たりやすいはずだ。
結果は見事に大外れ。「運のいい人」グループが選んだ数字も、「運が悪い人」グループが選んだ数字も、当選率は大差なかった。
「運がいい」とは予知能力ではなさそうだ。そう簡単にスーパーナチュラルなことは起こらない。
ワイズマン博士はいろんな実験をしている。
興味深い実験の一つが喫茶店で行われたものだ。
喫茶店の入り口の路上に5ポンド札を置き、店内のテーブルにはビジネスに成功した実業家役の人を仕込んでおく。隠しカメラも忍ばせて、「運がいい人」と「運が悪い人」をその喫茶店に呼んで、二人の行動を観察するのだ。
「運がいい人」代表のマーティンはその喫茶店に近づくなり入口に落ちている5ポンド札に気づいた。「ラッキー」とでも言わんばかりに5ポンド札を拾って店に入る。
マーティンはコーヒーを頼んで席につくと、何分もしないうちに隣の席の実業家(役の人)に話しかけて簡単な自己紹介をして、コーヒーをおごるよと申し出たのだ。二人はしばし会話を楽しんだ。
「運が悪い人」代表のブレンダの行動はまったく違った。
ブレンダはうつろな目をして喫茶店に入ってきた。路上に置かれた5ポンド札には気づかないままだった。
コーヒーを頼んで席についたブレンダは、誰とも話そうとはせずじっとワイズマン博士が来るのを待っているだけだった。
同じ数十分の間に、マーティンは5ポンドを拾い、成功した実業家と会話を楽しんだ。もしこれが実験ではなく実生活ならその実業家から大きな仕事のオファーが得られるかもしれない。
一方、ブレンダには何も起こらなかった。二人の差は何だろう?
「運のいい人」は目の前の5ポンド札に気づくが、「運の悪い人」は気づかない。
「運のいい人」は周囲にオープンだが、「運の悪い人」は自分の中に閉じこもる。
注意力と開放性は、「運のいい人」の特徴なのだ。
実際、「開放性」は大きなキーワードだ。
心理的傾向を調べると、「運のいい人」は外交的で、リラックスしており、オープンな傾向にあるという(p.59-109)。
考えてみると、「運がいい人」が外に対して開いているというのは論理的である。
「運」というのは自分の外からやってくる。自分の内側にあるものは実力だったり体力だったり、とにかく「運」ではない。
自分以外の外部要素で何かことが成し遂げられたとき、人はそれを「運」と呼ぶ。
だから外に対して開いている人には「運」が舞い込むし、閉じている人には「運」はやってこない。
ワイズマン博士の研究でも、「運がいい人」(厳密には自分が幸運の持ち主と思っている人、だが)は友人・知人のネットワークが広いという。
友人・知人のネットワークが広ければ、それだけ「いい話」が転がりこむ可能性が高いわけだ。
少しだけ脱線すると、この話は人間性についてちょっとした希望を抱かせる。
もし人間が邪悪な存在ならば、他者とつながっていればいるほどマイナスな出来事が転がりこむだろう。しかし他者とのつながりが多い人ほど「運がいい」となると、他者がもたらすものはマイナスよりプラスが多いということになるはずだ。
つまり、総じて人間というものはよいものだ、ということにならないだろうか。
まあマイナスばかりもたらす人もいますけどね。
ワイズマン博士は最終的に、「運のいい人の法則」として下記の4つを挙げた。
法則1.チャンスを最大限に広げる
法則2.虫の知らせを聞き逃さない
法則3.幸運を期待する
法則4.不運を幸運に変える
法則1は初めのほうに述べたように、外からやってくる「運」に対しオープンであるということや、目の前にあるチャンスを見逃さない、試行錯誤する、などのことだ。
調査の中で出会った「宝くじや懸賞に何度も当たっている」人は、単に他人の何十倍も懸賞に応募しているだけのことだったという。試行回数の問題なのだ。
法則2は、勘や虫の知らせというのは成功パターン・失敗パターンを意識下で認識(語義矛盾だが)している表れだから無視するな、みたいな話である。
法則3は、「運のいい人」ほど粘り強く物事に取り組むということで、自分は幸運だからきっとうまく行く、という信念がその源泉だという。
法則4は、悪い出来事からも何か教訓を得ようという姿勢が大事みたいな話。
ワイズマン博士の「運のいい人の法則」では一切超自然的な話は出てこない。非常に合理的かつ論理的で、そういうのが好きな人にはお勧めです。
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