男たちがうつろな目をしてただもくもくと土を掘り返している。
「ダメだよ、ちゃんとやって!」、時折聞こえる叱責。
ここは帝愛グループの地下帝国ならぬ、日曜日の公園の砂場。
日曜日の公園の砂場では、子どもたちが楽しそうにシャベルで穴を掘ったり水を流したり飽きることなく遊んでいる。その横には「やらされてる感」あふるるパパたちがいて、隙あらぱサボろうと死んだ魚の目をしながらただ機械的に砂山を作らされている。
パパたちも楽しくないわけではないのだ。
砂場にきてすぐのパパなんかは比較的やる気にあふれ、「よーしパパ砂山つくっちゃうぞー」とか言ってる。もう見てらんない。
お前らな、シャベルやるからこの砂山作れと。そんな言葉が先着パパたちの心をよぎるのである。
子どもたちは砂場についてしばらくすると<ボス>と化す。ここに山を作れ、あそこを掘れ、水を持ってこい。
パパたちがノッているときはいいんですよ。だがね、良い時は長くは続かない。
<ボス>たちの気まぐれな指示に、次第にパパたちの心が死んでいく。
さっきまで富士山つくるっていってたのに、完成する前に心変わりして唐突に山を崩し始める。「じゃあここにお城つくるってことね。パパ、塔を作って」とか言いだす。
富士山の横にお城の塔だって?それじゃあ高速道路沿いのラブホテルみたいじゃないか!と毒づきながらパパたちの心は次第に週明けの会議のことなんかを考え出す。
塔できたよ、と<ボス>を振り返ると、<ボス>はとっくの昔に遠くの水飲み場に行ってしまい、水なんか飲んでいる。
プランードゥーチェックーアクションではなく、プランーデストロイーコンフュージョンーアウェイの、悪魔のPDCAサイクル。
そんな砂場の<ボス>たちの気まぐれな指示に疲れ、パパ達は罪悪感を感じながらついスマホに手が伸びる。FBでぼやいたり、ネットニュースみたり。
とたんに<ボス>に見つかって「パパ、スマホいじってないでパパもちゃんと作ってよ!」と怒られる。なんだこの苦行は…。
普段はスーツでバリバリと部下に指示を出しているパパたちは、日曜の公園で久し振りに理不尽な仕事に耐えるハメになる。パパたちが指示する我が子から学ぶのは、完成図が見えない作業はつらい、自分のしている作業の意味がわからないとつらい、言葉での指示が不明確だとつらいなどなど。
うつろな目をしてパパは考える。「砂場で人生を学ぶ、か。たしか昔そんな名前の本があったな…」
ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出書房新書)が日本で出版されたのは1990年のこと。
カウボーイや画家、牧師など様々な職業を経験したフルガムには毎年春に、自分の生活信条<クレド>を書きだす習慣があった。自分はどう生きるべきか、どのように行動し、他人とどう接すればいいか、を言葉にして意識するのだ。
つきつめていくと、フルガムの信条<クレド>はとてもシンプルなものだった。
<何でもみんなで分け合うこと。
ずるをしないこと。
人をぶたないこと。
使ったものはかならずもとのところに戻すこと。(略)>(上掲書 p.17)
などなど。
要するに、フルガムは、人生の知恵をすべて幼稚園で学んでいたことになる。
<人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。>(p.17)
日曜の公園のパパたちは、<ボス>の気まぐれな指示に想う。
・プロジェクトを始めるときは、ゴールと完成予想を明確に提示すること
・どのような意図をもってプロジェクトにとりくむか、メンバーできちんとシェアすること
・作業工程が変わるのはかまわないが、その都度シンプルに理由を伝えること
・適度な休息をはさむこと
・メンバーの自発性に任せるのは限界があること。メンバーは必ずしもそのプロジェクトに積極的とは限らない
仕事に必要な知恵もまた、すべて公園の砂場で学べるのだ。
数時間後、またもや<ボス>が唐突に言う。
「もう帰るー」。
やれやれ、やっと解放される、と。パパたちは安堵する。
残されたのはもともと富士山だったはずの、ナゾの城とトンネルと泥水。
「腰、痛っ」。しゃがみっぱなしだったパパたちは腰を伸ばしてシャベルやバケツを回収する。
『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』の中にはほかにも大事な<クレド>が書いてあったような…パパは想う。
ああそうだ、<おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。>(p.18)だ。
そうだな、それはとても大事なことだ。
パパはそう考えて、小さな<ボス>の手を握りしめて、家路に着く。
手をつないで、はなればなれにならないようにすること。
遠くで、役所のスピーカーから『夕焼けこやけ』が流れる。
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