メリーゴーランド、回る。

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都心からは少し離れた街にその遊園地はあって、年かさのその遊園地にそのメリーゴーランドはある。

年かさの遊園地に見合ったようにそのメリーゴーランドもこれまた年かさで、今日もくるくる回っている。説明書きによれば、そのメリーゴーランドは実はその遊園地よりもさらに年かさなのだった。

 

説明書きはこんなことを教えてくれる。

そのメリーゴーランドがドイツ生まれなこと、ヨーロッパのあちこちを巡ったあとにアメリカに移って、これまたニューヨークの中心からは少し離れた街の遊園地で回っていたこと。大統領の一人もそのメリーゴーランドに乗ったことがあるんだそうだ。

ドイツでそのメリーゴーランドが生まれたのは今から百年以上前だとか。

 

今から百年前、ドイツの町々やヨーロッパの町で、どんな人たちを乗せてそのメリーゴーランドは回っていたのだろう。日々の生活の疲れを癒すほんのひとときの「ハレ」を彩るため、白馬や馬車にヨーロッパの親子を乗せていたのだろうか。

 

ヨーロッパからアメリカへ旅立つとき、どんな物語がメリーゴーランドにあったのだろう。新興国家のヌーボーリッシュの実業家が、旧大陸でそのメリーゴーランドに目をつけたのだろうか。

黄昏の、コニーアイランド。 

 

《<コニーアイランドへどうぞ!>ポスターが呼びかける。だれもがそれを聞く。そしてみんながやって来た。夏の週末には一分間に千人もの人間が地下鉄や市街電車の駅から吐きだされる。<波(サーフ)>通りをぬけて、浜へ、プールへ、人びとは流れていく。 

 水兵と娘たちは夕暮を待ちかね、街の灯りと夜空の星が、きらきらした光の縫いとりのように、この不思議な場所をかざった。》(ノーマン・ロステン『コニーアイランド物語』晶文社1980年 p.12)

 

ニューヨークから電車で小一時間のコニーアイランドは、かつてニューヨーカーたちが夏のひとときを過ごす観光地だった。でも時が経ちコニーアイランドはさびれていき、そして廃れた。

その遊園地で、メリーゴーランドはどんな人たちを乗せて回っていたのだろうか。働き者のニューヨーカ―の若きカップルや、週末の精いっぱいのお洒落をした子ども連れを乗せて、ぐるんぐるんと回ったのだろうか。

最盛期には行列待ちだったメリーゴーランドもいつしか誰も乗る人がいなくなり、カラカラと空回りして、そして解体された。

 

《真夜中にひとりぼっちでさみしくて

いつのまにか自分の魂も売り物にしちまってるって気づいて

自分のしたこと全てを考え始めて

それから全部が大嫌いになる

だけど丘の上のあの子を思い出せよ

あの子はお前が間違ってたって知りながらも好きでいてくれた

お前はよくやってるよ

あの子だって輝くさ

そして愛の栄光が、愛の栄光がやってくるんだ》(ルー・リードコニーアイランド・ベイビー』。意訳) 

 

働き者のお父さんお母さんやかわいらしい子供たち、時間をもてあましたおじいちゃん、異国から働きに来たカップル。

そんな人たちを乗せながら、そのメリーゴーランドは今日も閉園時間までくるくる回っている。

 

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