「フランスに行って驚いたのはだね、君、バビンスキー反射あるだろう、彼らはひととおり患者を診察してバビンスキー反射も診て、それで平気で言うんだね、『わからん』と。そのころ日本じゃ、このくらいの角度だと陽性だとか陰性だとか延々と言ってるんだから。彼らフランス人医師の専門家は、わからんもんは『わからん』というんだなと思ったよ」
我らの業界のザ・レジェンド、H先生からその話を聞いたのは随分前になる。
H先生は御歳90歳近く、お若い時に当時の医学の最先端であるフランスに留学していらした。
その話を聞いてずいぶん経つが、この「わからん」という話はぼくの心を捉えて離さない。この話を聞いてから、ぼくは「わからん」と言うことは怖くもないし恥ずかしくもないと思うようになった。
一般に、専門家というのは専門分野において知らない分からないものは無いと思われている。がしかし、専門家ほど「わからん」ものを豊富に抱えているものなのだ。
「これを知るを知り、知らざるを知らざると為せ。これ知るなり」と孔子は言った(論語 為政編)。ここまではわかっている、ここからはわからない、そういう状態こそがなにかについてわかっているということだ、という意味だと思う。
黒澤明はアカデミー名誉賞を獲ったときに、「私にはまだ映画というものがわかりません」と言った。誰よりも映画をわかった者だからこそ逆に、多くの映画人の前で堂々と「わからん」と言って絵になるのであろう。
黒澤明 アカデミー名誉賞 (黒澤明、体格よくてかっこいいなー)
誰よりも専門分野をわかった専門家だからこそ、まだわからないことが何か明確である。そしてまた、専門家というのは「わからん」ことと格闘し続けることができる知的スタミナがあるとも言える。
〈「ものごとがいずれにも決しない状態に耐えるのはとてもつらいことである。そのつらさに耐えかねて〝死に至る道〟(後先考えずに飛び込んでしまう衝動的な行動)に逃げ道を求めようとするものは昔から国家にも個人にもあった。しかし、このつらい『宙ぶらりん』の状態に耐えることこそ、可能性の明確でない勝利の幻想を追い求め、国家を灰燼に帰せしめるよりは、はるかに優れた選択なのだと銘記すべきである」〉(中西輝政『本質を見抜く「考え方」』サンマーク出版 イギリスの戦略思想家リデル・ハートの言葉とのこと)
素人は安易に答えっぽいものに飛びつく。専門家は、「わからん」という宙ぶらりんの状態に耐えて考え学び続けることができるのだ。
専門家というのは、何がわからんことかはっきりとわかっている。「わからん」ことに耐え、「わからん」を抱えながら、それでも前に進もうとする。
そうして我らもまた、今日もひとりでは解けない愛のパズルを抱いてアスファルトタイヤを切りつけていくのである。
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