病院経営万事研修その3-「合理化の罠」と「努力の罠」

カナダ・ニューブランズウィック州のそのホットドッグ屋は大繁盛していた。そう、彼が帰ってくるまでは。
 
〈ある日老人の息子が、ハーバード大学で経営学の修士号と経済学の博士号を取得して帰ってくる。息子は父親の経営ぶりを一目見るなり言う。「なんということだ、父さんにはいまがひどい景気の後退期だということがわからないんですか?コストの削減が必要です!広告板の使用をやめ、宣伝費を浮かせましょう。六人の人員は二人にして労働費用を節減しましょう。父さんは道路わきで時間を無駄にしないで、調理を受け持つのです。仕入れ先には、安いパンやソーセージをよこすように言いましょう。マスタードとピクルスは安い品に変え、玉ねぎはいっそのこと抜きましょう。わかりますか?企業をばたばたと倒産させているこの不況を乗り切るために、これだけの経費の節減ができるのです」
父親は息子に感謝した。これほどの学歴のある息子は賢いものと思いこんでいたので、その助言の正当さを一瞬も疑わなかった。広告板はおろされ、父親は調理場にひっこんで安物だけを扱い、たったひとりのウェイトレスが給仕をすることになった。
二カ月後、息子がまた帰ってきて、商売の調子はどうかと父親に尋ねる。父親は人気のない店、以前は戸口のまえで停まったのに、いまはそのまま通り過ぎていく自動車、空っぽのレジに目をやり、息子に向かって言う。「おまえの言うとおりだった!たしかにとんでもない不景気時代だよ」〉(キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』新潮文庫 平成六年 p.73-74)
 
医療にとって、いや事業にとって「効率化」「生産性」「経営」というのは万能薬ではなく諸刃の剣(もろはのつるぎ)である、という文脈で引用している。
 
ハサミも剣も、そして「効率化」や「生産性」も、使い方によって毒にも薬にもなるという他山の石としてぼくはこの老ホットドッグ屋の逸話を記憶している。
キングスレイ・ウォードはこの逸話をこうまとめている。
 
〈わかるだろうか、老人は企業家だったが、ある限界があった。彼は客の求めるものがわかっていた。ほんとうの企業家であるための基本的な資質のなかで、彼に欠けていたのはただひとつ、自分の信念を守る勇気だった。彼がほんとうに信念を持っていたら、誰も彼の事業を潰すことはできなかっただろう。企業家には、成功を確実にするあの頑固な、粘り強い性向がなければならない。〉(前掲書p.74)
まあ「信念」と「依怙地さ」は紙一重だし、「粘り強さ」と「硬直性」は地続きだ。
ぼく自身は「なんでも試してみて、うまくいけば続けるし、ダメならやめる」くらいがちょうどよいとは思う。「うまくいく」の指標は、事業の持続可能性が高まるかどうか、です。
新宿のベルクのところで出したように、仕事の必要最低条件かつ究極目標は「続ける」、「ゴーイング・コンサーン」ですので。

「合理化」「生産性向上」に罠があるように、ものごとを進めるうえでほかにも罠はたくさんある。たとえば「努力の罠」だ。
 
もちろん努力は尊い。
寸暇を惜しんで学ぶ姿は心を打つし、額に汗して働く姿はなによりも美しいものだ。
だが、ここにもまた落とし穴がある。
 
努力の人といえば車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)。
車胤も孫康も古代中国の人で(引用文献は民明書房ではないことをあらかじめお断りしておく)、車胤は貧しい境遇に負けずにホタルの光で夜も勉強し、孫康は雪の明かりで学んだ。努力の甲斐もあって車胤も孫康もしっかり出世したという。
出世したのちの二人について、小話を一つ。
 
〈ある日、孫康が車胤の家を尋ねた。留守だったので、門番に「車胤殿はどちらへ」と聞くと、答えていう。
「へえ、主人は早朝から草むらに蛍を捕りに出ておりまして」
後日、今度は車胤が孫康の家を訪ねると、庭のまんなかに孫康が心配そうな面持ちで立ち尽くしている。
「おや、机にも向かわず外でぼんやりしておいでとは。こんなに天気のいい日に、なにか気がかりでもおありですか」
「それなんですよ。どうやら今晩は雪が降りそうになくて」(明・馮夢龍『笑府』)〉
(瀬川千秋『中国 虫の奇聞録』大修館2016年 p.121より孫引き)
 
困難な状況の中でも学ぶという目的のための手段であったはずの「ホタル」や「雪」が、自己目的化してしまっている可笑しみをこの小話は伝えている。
 
他人ごとだとおかしいとわかることが、我がこととなると途端にわからなくなる。
誰かをdisりたいわけではないので慎重に書くが、料理の世界も医療の世界も、そうした手段や努力が自己目的化している部分がたくさんあるのだろうと思う。
 
そうした、しなくてもよい手段の部分を徹底的に見直して(いや不断に見直し続けて)、コストとマンパワーを抑えて廉価で良質なものをたくさんの人に提供しているのが外食産業であり、その精神と方法論を学びたいと、この文章を書いている。
長々と書いているわけは、学んだ個別具体よりもその思いをシェアしたいと思うからだ。
〈心して見れば万物すべてが我が師となる〉というが、心して見なければ万物は我が師とはならない。
 
老ホットドッグ屋の息子のように「合理化」「生産性」の罠もあるが、車胤と孫康の小話のように「努力」の罠もある。
その二つの罠の間でうまくバランスを取りながら、うまいこと事業を回していかなければならない。
 
新宿、ニューブランズウィックと話は進み、途中古代中国へと寄り道した。門真の話を引用して、外食産業の話に戻りたいと思う。
 
〈人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないか。
それは創意がなくてはならない。くふうがなくてはならない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。〉(松下幸之助『道をひらく』p.146-147)
 
(続く)

 

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