『ALS患者の依頼を受け嘱託殺人/安楽死 医師にSNSで依頼か』というニュースを見て、町医者が「なんて独善的な事件なんだ」と思う理由。

確たる情報もないなかで軽々に何か言うべきでもないし言うつもりもないが、独善的で軽率な、やはり犯罪としかいいようない事件が起こったようだ。

news.yahoo.co.jp

 

一般論として述べる。
盛永審一郎『終末期医療を考えるために』(丸善出版 平成28年)によれば、安楽死反対論の主流は、Slippery-slope argument、『すべり坂論証』や「ダム決壊論証」というものだという(p.148)。
治癒不能な末期患者の自発的な要請にもとづく安楽死はそこだけとると「やむをえない」と考えるひとはいるであろう。
しかしながら、末期患者の自発的な安楽死を受け入れた場合、次に来るのが自己判断困難(と思われる)重度の認知症患者の安楽死や、I hate to say, 重度障害者の反自発的安楽死ではないか、という考え方が「すべり坂論証」や「ダム決壊論証」とのことである。
安楽死の議論に対し慎重な欧州には、ナチスによる障害者の反自発的安楽死という負の歴史が重く横たわっている。

 

上掲書は副題を〈検証 オランダの安楽死から〉としており、筆者らによるオランダの調査研究の報告がもとになっている。
上掲書によれば、オランダでの安楽死は、まず家庭医が患者からの自発的要望を受け、その報告書を第三者機関であるSCEN(Support and Consultation for Euthanasia in the Netherlands)に送り、SCENから派遣される別の医師が患者を訪問して状況を確認する。
家庭医から出された安楽死実行伺いが却下されることもあるという。

 

最低限言えることは、こうした行為は「密室」で行われてはいけないということだ。
患者本人からの自発的要望と見せかけて実は家族からの圧力やほかの事情からではいけないし、ほんとうに治癒不能か、堪え難い苦痛は対応不能なのかも確認されなければならない(p.56)。
誤診がないとも限らないし、担当医が苦痛を除去するスキルに未熟かもしれないからだ。
かつてぼくが担当した患者さんの中には、一時はALSと診断されたが医学の進歩により治癒可能な別の病気であったことが明らかになり、大幅に治癒した方もいる。診断が間違っている場合というのも、世の中には決して無いわけではないのだ。

 

ことほど左様に、安楽死の議論というのは慎重に慎重を重ねて行われなければならない。
「難病で本人の希望でしょ?何が悪いの?」なんて雑な発言を耳にしないで済めばよいが。

 

孫引きだが、オーストラリアの生命倫理学者Hクーゼは安楽死法の成立には、「信頼性」「透明性」「同意原則」「高福祉」の4条件が必要としているという(p.36-37)。

件の事件では、少なくとも「透明性」が全く無いことが大問題で、だからこそ独善的な事件だとぼくは思うのだ。
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