「フィジカル」と「マテリアル」ということについて考えている。答えはまだない。
『鬼滅の刃』の最終巻、紙の本がものすごく売れている。これだけオンライン化、デジタル化が進む中でこれはどういうことだろうか。一説には家族で回し読みするために紙の本を買うのだという。
ぼく個人はkindleで読んだが、可能ならば紙の本をずらっと並べたい。この心理はなんだろう?
あるいは先日の「Eテレ売却論」。
Eテレ売却して、全く同じコンテンツをネット上で公開するという対応をしたとしても、「Eテレ残せ」論者は納得しないだろう(ぼくもその一人だ)。マテリアルとして存在するテレビモニタで、Eテレが流れていて欲しいのだ。この心理はなんだろう?
コロナ禍で、人間のフィジカル面というのは強く意識されるようになった。人間はフィジカルな存在だから、ウイルスにやられやすいという当たり前のことを皆が意識するようになった。
フィジカル面を無視して人間や社会を語れないということを皆が嫌というほど思い知ったのが2020年で、ひと頃騒がれていた「AIが人間を追い越す日、シンギュラリティ」みたいなことは、今年まったく語られなかった。
「フィジカル」と「マテリアル」の話をしている。
ある人が書いていた。
「zoomやオンライン会議は、貯金を切り崩しているようなもの」。
今までオフライン、フェイス・トゥ・フェイスで長年積み上げてきた信頼関係があるからこそオンライン会議やリモートワークが成り立つという論だ。
オンライン化、デジタル化という既定路線は揺るがないだろうが、もしコロナワクチンが有効だとわかったときに、「フィジカル」「マテリアル」への欲望が反動的に社会を動かすのではないかと予感しているのだが、はたして2021年はどうなることやら。