なぜアメリカの国際便クルーはベテランぞろいか。あるいはストリート・ナレッジの話。

〈わたしは忘れるから、書こうとするのだ。
後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように。〉(岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』小学館 2020年 p.117)
 
いつか書いてみたいということがあって、たわいのない日々のことだけれど、書いてしまおうと思う。すべて忘れてしまう前に。
 
「うちマズいですよ。帰ったほうがいいよ」。
料理屋に入ったとたん店主にそう言われた。そんな経験は後にも先にもこのときだけだ。2000年10月の2日ころ、午後6時前だったと思う。
それがKさんとの出会いだった。
 
ぼくは空港と古い寺のある街の病院に赴任したばかりで、知らない街で飯でも食べようとその店のドアを開けたのだった。
今なら「ああ、そうすか。すみません」と退散するところだが、若さゆえの図々しさ、「それでもいいから、一杯だけ飲んでもいいですか」と席に着いた。
カウンターの一番ひだり端、鉄板の前に座った。
 
「うちのメニューはこれだけ」。Kさんが示した。
ビールorコーラ1杯(普通サイズ)+ビュッフェ(ギョーザ、チキン、ポテト、ベイクド・ベジタブル:食べ放題)1500円。
ビールorコーラ1杯(エクストラ・ラージ)+ビュッフェ(ギョーザ、チキン、ポテト、スチームド・ベジタブル:食べ放題)2000円。
なぜか英語メニューだけ。
 
「お客さん、なんでこんな店なんか来たの?」
どこまでもアンチ・ウェルカムな感じでKさんがビールを出してくれた。鉄板に、火を入れる。
 
ぼくはこの街の病院に赴任したばかりなこと、この街で夕飯を食べられるような店を探していることを話した。
「ふーん、あそこの病院に来たんだ。じゃあ“センセイ”だね」
店主は、冷凍庫から業務用の大量の餃子の袋を出して、ガラッと鉄板にコチコチの餃子を乗せて、ドーム状の蓋をかぶせた。
 
程なくして、ドカドカと団体客が入ってきた。
騒がしく陽気な一団。背が高く、金髪碧眼のso called,“ガイジン”。
次もまた、陽気な団体。これまたyou know,“ガイジン”。あっという間に、店内は「欧米」になった。
「ウチはね、国際線のクルー専用の店なんだよ」
Kさんは言った。

「航空会社によって違うんだけどさ」
鉄板で野菜を炒めながらKさんは言った。
 
「BAとかさ、日本に着くと現地滞在費としてお金渡されるわけ。お小遣い、だね。ヨーロッパ系は現地払い、アメリカ系は給料にコミコミだったりするんだけど」
20年以上前の話で、ウラも取ってないので割り引いて読んでいただければ幸い。
 
「で、若いクルー、スチュワードとかスチュワーデスとかは、その現地滞在費持ってこの街と六本木往復する貸し切りバスに乗って六本木とか遊びに行くわけ。体力もあるからさ。
でも家族持ちのベテラン・クルーとかは疲れるしカネもかかるからさ、空港のあるこの街でまったりビール飲みながらセイブ・マネーするわけ。
で、ウチの店はその人たち用。」
野菜炒めにまたもや蓋をしてKさんは言った。
 
「よくオッサンがさ、国際線乗って“アメリカの飛行機は若いスチュワーデスがいない”とか文句言うじゃん。あれ当たり前なんだよね。
スチュワーデスとかクルーはさ、会社とひと月に何十時間フライトするって契約するわけ。で、アメリカとかは組合が強いから、一回フライトすると10何時間デューティがこなせる国際線はベテランクルーが優先的にシフト持ってくわけ。若いスチュワーデスとかは組合加入歴が短いから、アメリカの国内線でいちフライト数時間をちまちまこなさなきゃならない」
Kさんが教えてくれた。ほんとかどうかは知らない。
 
「ニホンジンはさ、日本に来てる“ガイジン”がみんな日本のこと好きだと思ってるけど、そうじゃないからね。仕事で来てるだけで、別に日本のこと好きとか嫌いとかないから、あの人たち」
わずかに軽くアゴをあげ、Kさんは店内のクルーを指した。手は休めない。
 
そりゃそうだよな。
ニホンジンも会社の命令で海外赴任するし、その時に個人の好きとか嫌いとか関係ないもんな。
ぼくはビールをひとくち飲んだ。
 
「たとえばあの人たち、絶対にサラダとか生野菜食べない。もちろん食べる人もいるけど。」
野菜炒めの湯気が上がる。
「アジアで生モノ食べると食中毒になる、ってアタマなんだろうな」
 
見知らぬ異国の地でなんでも食べてやろうという人もいるけれど、多くの人は食べ物や飲み物に警戒する。時間も好奇心もあるバックパッカーなら別だが、翌日にフライトを控えたクルーならなおさらだろう。生モノへの警戒だけでなく、怪しい現地の店で、見えないところで食べ物飲み物に変なモノ入れられたら大変だ。
だからすべて客の目の前で調理し、野菜にも火を通す鉄板焼きのスタイルがウケる。コーラも見えるところで、ペットボトルからジョッキに注ぐ。
 
コースもノーマルサイズのビールかコーラが一杯ついた食べ放題1500円かエクストララージのビールかコーラ付き2000円のみ。明朗会計で、「ボッタクられたくない」というニーズも満たす。
バフェットとかビル・ゲイツとか国際ビジネスマンが世界中どこへ行ってもマックのハンバーガーとコーラばかり食べたりするのもこの手のリスク回避なのだろう。
 
ストリート・ナレッジとかストリート・スマートという言葉がある。学校じゃなくて街の中で生き抜くために身につけた知恵や賢さみたいな意味で、Hip Hopの価値観だと思う。ぼくの中でストリート・ナレッジやストリート・スマートといえば今もなおKさんを思い浮かべる。Shineheadの出世作も「sidewalk university」でしたね。嗚呼90年代。
いろんなことに感心してぼくはKさんに聞いた。
 
「いろいろ考えてるんですね…。おかわりもらっていいすか。
じゃあ、エクストラ・ラージのコーラ単品、追加で」
ぼくは空のジョッキを返した。
ジョッキを受け取りながらKさんは答えた。
「コーラならエクストラ・ラージはやめたほうがいいよ。あれ、ノーマルサイズよりたくさん氷入れてるだけで、コーラの量は一緒だから」。
Kさん元気かなあ。

 

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