「自分より出来る医者っていうのは必ずいるんだから」。友人の脳外科医Mが言った。

〈相ことなる職業にめいめいが従事することから人類に生まれてくる利益は、きわめて大きくまた明白である。なぜならそれによって、各人は彼のものである特定の技術において熟達して巧妙となり、彼らの任意の1人がすべてを自分で行う場合よりもはるかにすぐれた手はずとはるかにすくない労苦とで行われたそれぞれの労働の生産物を、相互に供給することが可能になるからである。〉(ハリス『貨幣・鋳貨論』東京大学出版会 1975年 p.17)

 

「自分より出来る医者っていうのは必ずいるんだから」

友人の脳外科医Mが言った。

「だから全部背負い込むことないんだよ」

その言葉はこの20年ほど、医者の仕事をする上で大きな指針となってきた。

 

責任感の名のもとに、患者さんのあれこれを過剰に背負い込み、結局のところかえってこじらせてしまう医者がいる。

「俺に任せろ」と専門外のことも抱え込み、けして最善とはいえぬ治療を行い悦に入る。

だが厳しくいえばそれは自己満足なのだ。

 

だが冒頭のMの言葉のように、自分より出来る医者は必ず居る。

どこまでが自分の能力でカバー出来て、どこからはそれぞれの専門家に任せたほうがよいかを冷静に判断し、ええ具合の「パス」を出したほうが結局は患者さんのためになる。

そのかわり自分の専門分野の患者さんを紹介されたら誠心誠意、最善の診療をする。

そしてそれぞれの分野で精進をしていく。

 

1人でなんでもかんでも背負い込み抱え込み全部自分でやろうとする医者は、パスを出さずに1人でドリブルを続けゴールを目指すフットボールプレイヤーのようなものだ。

それよりは自分の守備範囲+αのところでパスを出しパスを受け、こまめにボールを回してゴールを目指すスタイルのほうが、ゴールまで辿り着く可能性は高いだろう。

 

というわけで今日もパスを出しパスを受けながら診療していきたいと思います。 精進精進