ニコンとキヤノンと今日いまここ。

「心というのはカメラのようなものです。
今ここ、今ここしか写らない。
過ぎ去りし過去を悔い、まだ来ぬ未来に怯えるのではなく、ただひたすらに今ここに向き合う。
ただひたすらに今ここを心に映してゆく。そうすることで悩みもすーっと消えてゆく。
ただひたすらに今、それを仏教では『而今(にこん)と言います。
 そう、カメラは而今、ですね」
禅僧のTさんが言った。
 
あわてて付け足すと、少なくとも公式にはカメラメーカーの『ニコン』はもともとの社名『日本光学』にNをつけたものだという。
ちなみに『キヤノン』はもともと最初の試作機を『KWANON(カンノン)』と名付けた。これは観音菩薩のご慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創りたいという思いが込められている(本当)。
このため禅宗ではニコンのカメラを愛用するのに対し、観音菩薩の浄土宗ではキヤノンのカメラを愛用しているかどうかは定かではない。
 
「カルぺ・ディエム/Carpe diem.
と古代ローマでは言った。
日本語では、『今日という日の花をつめ』という意味になる。
英語だと『Seize the day』だね」
Tさんの言葉を受け、Fさんが言った。
 
聖書にも〈明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。〉とある(マタイ6章34節)。
 
ぐっと近代になり、高名な医師サー・ウィリアム・オスラーも、成功の秘訣を聞かれてこう答えている。
成功の秘訣は、「今日というひと区切りを生きる」ことだと(D.カーネギー『新訳 道は開ける』kindle版 23/458)。
オスラーを導いたのは、カーライルの書いたこの言葉だという。
「我々は、彼方に霞んで見える何かではなく、今手のひらのうえにあるものごとに目を向けるべきなのだ」(前掲書)。
 
今ここを生きる、今日を生き切るといえば、簡単なことに思えるかもしれない。
しかし我々は今日も、大切な家族や友人との会話中にスマホをいじくり回す。
ビデオ会議やwebセミナーではビデオとマイクをオフにしてながら視聴を繰り返す。
どこかの誰かが書いたどこかの誰かについてのネット記事を流し読みしてはインスタントに怒ったり憤ったりする。
いずれも「今ここ」には心あらずだ。
 
今ここに専念し、今日を生き切るというのは、思いのほか難しい。
 
皆様、良い一日を。