"引く”医者、"引かぬ”医者

「医者には“引く”人と“引かない”人がいてね、“引く”人は一生“引く”んだよね…」
何かを諦めたように、指導医O先生は言った。
研修医一年めのぼくは、ただうなづくだけだった。

“引く”というのは医者のスラングの一つで、担当患者さんが急変したり重症化したりする現象を言う。
きちんとやるべき治療をしていてもなぜかその医者の担当患者さんばかり重症化したり、その医者が夜間当直した夜に限って次から次へと救急車が押し寄せたりすると、ほかの医者や看護師さんたちから「あのセンセイは“引く”んだよね…」とヒソヒソ声で言われてしまうのである。

 

O先生から、「タカハシ先生は“引く”タイプだね…」と遠い目で言われてから幾年月、“引く”“引かない”の違いを考えてきた。

 

“引く”タイプの医者には、少なくとも二種類ある。
一つは責任感の強い医者。
あえて言うと、責任感が「ムダに」強い。
一度患者さんを受け持ったら、何が何でも全部自分で診ないと気がすまない医者は、“引く”。
医者の専門にはいろいろあって、得意分野もそれぞれ違う。
だから、自分の力が及ばない症状や病気ならそれぞれの専門家の助けを求めて、必要であれば担当医を代えたほうがうまくいく。
しかし「ムダに」責任感の強い医者は、それが出来ない。
「オレの患者だから」と、何から何でも自分でやろうとする。患者さんを、全部自分でかかえこむ。
そうすると、“引く”。
私見だが、漫画「ドクター・コトー」はこちらのタイプの“引く”医者ではないだろうか。漁船の上で手術するくらいなら、早く自衛隊にヘリ搬送してもらえばいいのに。
医療業界以外でも、案件や仕事をかかえこんでこじらせる人というのはいるはずだ。

 

“引く”医者のもう一つは、予兆に気づかずこじらせるタイプだ。
病気の中の一定部分には、予兆(正確には初期症状か)がある。
例えば「階段を上ると息切れがする」という話を患者さんがした場合、普通の医者なら「心臓や肺は大丈夫かな、貧血はないかな」と思う。
だが、“引く”タイプの医者は、「歳のせいでしょう」とスルーしてしまう。
患者さんが発熱したら、普通の医者は「原因は何だろう」と考えるが、“引く”タイプの医者は「解熱剤だしときますね」で終わらせてしまう。
問題が起こったとき、トヨタの技術者のごとく、「なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ」と根本原因を追求するクセがついていれば早期に対応してピンチになりにくいが、“引く”医者はその場だけの対応をするから、小問題がピンチまで育ってしまうのだ。

 

“引く”医者はよくも悪くも注目を集めやすい。
だが、“引かない”医者の工夫や努力は、誰にも気づかれないところで行われている。
まあでもそんなもんで、"引かない”人の工夫や努力は歴史に埋もれるのは医療業界だけではない。

 

<あるところに、勇気と力と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた政治家がいて、二〇〇一年九月一〇日に法律をつくり、即座に全面的に施行したとしよう。この法律によると、飛行機の操縦席には防弾ドアをつけて、ずっと鍵をかけておかないといけない(略)。テロリストが飛行機で、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだりする万が一を防ぐためである。妄想みたいな話なのはわかってる。単なる思考実験だ(勇気と力と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた国会議員なんてものが、この世にいないのもわかってる。思考実験とはそうしたものだ)。航空会社の職員には喜ばれない政策だ。彼らの生活がややこしくなるからである。でも、間違いなく九・一一は防げただろう。

 操縦席のドアの鍵を閉めさせたその人の銅像が広場に立ったりすることはないし、お葬式の死亡記事でも「九・一一のテロを防いだジョー・スミス、肝臓病の合併症で亡くなる」なんて書いてもらえることはない。(略)>(ナシーム・ニコラス・テレブ『ブラック・スワン』上巻 ダイヤモンド社 2009年 p.12-13)

 

医療業界の話に戻る。

華々しく脳出血や心臓病の緊急患者を引き当てて、みごと手術を成功させる医者は注目される。

日々こまごまと患者さんの血圧管理をし、生活習慣病をコントロールすることで脳出血や心臓病を未然に防いでいる医者は注目されない。

そんなもんだし、それでいいのだ。

 

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