「定年延長の流れでぼくら歴史学やってる者が危惧していることがあって」 ある時、近現代史学者のK先生が言った。

「定年延長の流れでぼくら歴史学やってる者が危惧していることがあって」 ある時、近現代史学者のK先生が言った。

 

「それは郷土史家がいなくなることなんですね。

 

今までは、いろんな地方で仕事を引退した公務員のかたとか地域の人とかアマチュアの歴史家がコツコツとその地域の歴史を調べてそれぞれの地域の郷土史を書いたりしていました。いろんな地域の公民館とか図書館とか行くとそういう郷土史が読めて、ぼくら研究者はそういうのでずいぶん助けられてるんです。

でも定年延長で生涯現役とか言われちゃうと、引退後にコツコツとその地域の歴史をまとめていたようなアマチュアの郷土史家がいなくなっちゃう。

そういう郷土史家の消滅っていうのをね、ぼくら研究者は今危惧してるんです」

 

引退後に歴史を研究し一冊の本として残すのを楽しみにするなんて、古き良き時代のイギリス紳士みたいだ。古き良き時代のイギリス紳士の理想の隠居生活といえば、一冊のイギリス史を書き残すかサセックスの丘に引っ込んで養蜂家となるかだと聞く。

 

アマチュア(amateur)という言葉はフランス語の「アマチュール/amateur、(何かを)愛する人」からきているそうで、郷土への深い愛情がアマチュア郷土史家を突き動かしているのだろう。

定年延長によりアマチュア郷土史家の持つ、地域への愛情が消えることはないが、何しろ時間とヒマが無くなるのでは研究は出来ない。

 

時間とヒマがないと研究はできないといえば、郷土史研究のもう一つの担い手といえば地域の教員だ(あるいは教員“だった”)。

中学や高校で歴史を教えつつ、自分の楽しみのため郷土史を研究をする。そんな教員のかたがたがこれまた全国にいる(あるいは“いた”)。

ただそうしたかたがたもまた、教員としての仕事が爆増していることにより、活動量は激減しているという。

 

現在を忙しく生きることでアマチュア郷土史家が減り、我々は過去を知る術を失い、過去と分断されてしまう。

あるいは現在を忙しく生きることで子育てなどが重荷となり少子化が進み、今度は未来を失う。

 

過去と未来から分断され、現在をただただ忙しく過ごす我々は、いったい何をしているのだろう。