『流暢性の錯覚(幻想)』と『望ましい困難』 

結論は「自動翻訳でもなんでも便利に使ってじゃんじゃん情報を浴びるべきやろ」なんですが、「個人的に」医学論文は原文のまま読んだほうがよいと思うところがある。その理由をずっと考えていた。

 

あくまで個人的な感情論で、他人に押し付けるつもりはまったくない。

分からぬ単語を辞書で引き引き英文や仏文で書かれた論文を1行1行ちみちみ読むというのはいかにも効率が悪い。

そんなことに時間を取られるくらいなら、自動翻訳でもなんでも便利に使ってじゃんじゃんバリバリ出血覚悟で論文たくさん読んだほうがよいに決まっている。

 

だがあくまで心情的に、なかなかそこまで割り切れないでいた(いる)。もちろん頭ではわかっているんですよ。

たぶん立ち位置にもよるのだろう。

自分が今、研究の最前線にいるのなら大量に情報を咀嚼してゆく必要があるから、割り切って自動翻訳を駆使すると思う。残念ながらネットばかりやっている。

 

理屈とポストイットはどこにでもくっつく。

「自分が」自動翻訳を駆使して英文論文を読みまくるのに消極的な理由は怠惰とノスタルジーと精神的老い(イヤだが仕方ない)以外に、『流暢性の錯覚(幻想)(The fluency illusion)』を恐れ、論文を読むのに『望ましい困難(Desirable difficulties)』があったほうがよいとうっすらと感じているからだと思う。

『流暢性の錯覚(幻想)』とは〈表面的に情報が処理しやすくなったことで、実際には内容を記憶し深く理解していないのにもかかわらず、覚えた気になってしまう、理解した気になってしまう心理的な現象〉であり、『望ましい困難』とは〈ある程度積極的に自分の脳に負荷をかけること〉だという(安川康介『科学的根拠に基づく最高の勉強法』KADOKAWA)。

 

まあでも何事も自分の好きにやればよい。

私は好きにした、君らも好きにしろ、というやつである。

ぼくはぼくで、覚えたばかりの『流暢性の錯覚(幻想)』と『望ましい困難』という単語を使えたから満足だ(←アウトプットを意識した勉強法)。