「コスパが悪いから社内の飲み会には行かない」という言説に思う。

付き合い酒・接待酒ほどマズいものはない。

だが一方で、“営業”無しに仕事を得られる人は少ない。

 

「コスパが悪いから会社の飲み会いくな」という話がXa.k.a.Twitterで話題だ。

気持ちはわかるが、これは行き過ぎると「会社を辞めてブログで稼ごう」的な、若い衆を惑わす妄言かもしれない。

 

個人的には、会社の飲み会に出てコミュ力でいい仕事回してもらうなんてのはbull s××tだと思う。だが困ったことに、人生自体がbull s××tなのだ。

 

若い時代は潔癖だから、「太公望幻想」と「公正オーディション幻想」にとらわれているのだと思う。

世界の片隅で釣り糸を垂れていれば誰かエラい人が自分の才能に気づいてくれてスカウトしてくれるという「太公望幻想」。

あるいは仕事というのは要求されている能力を持った人材を世界に広く募集し、公正なオーディションを経て適任者が決められていくという「公正オーディション幻想」。

若くて潔癖な人ほどそうした幻想にとらわれているのではないか。

 

だがオオタニサンが無人島で暮らしていて誰にも会わないままだったら大リーガーにはなれなかっただろう。才能と努力と戦略と、それからチャンスを掴みに行ったからこそ幸運の女神も微笑んだと思う。賭けてもいい。

あるいはトランプ前大統領が補佐官を決める時に世界中から人材を募って公正なオーディションを行っただろうか。

誰にどんな仕事を頼もうかというのは残念ながら、夜の居酒屋やカルフォルニアのバーベキューパーティーや毎週末のアメフト応援パーティーやトランプタワーのホームパーティで決まることが少なくないのだろう。

 

縁とかコネとかコミュ力とかで仕事が決まるなんてやだねえ、社内接待なんかやらされるから社畜はいやだ、フリーランスで気楽に食っていきたいもんだと思うだろうしぼくもそう思う。

だがあなたは、「一人電通」という言葉を知っているだろうか。

 

伝説のフリーランスキング、サブカルで食ってゆくワン・アンド・オンリーの憧れの人、みうらじゅん氏(いやもうみうらじゅん師と呼ぶべきだろう)の『「ない仕事」の作り方』(文春E-BOOK)から引用する。

〈(略)連載を得るためには、「一人電通」として「接待」という名の飲み会を欠かしてはいけないということが重要になります。 雑誌の仕事の場合、編集者に気に入られなければ、仕事はきません。

(略)

そのためにも必要なのが、「接待」です。私はお酒の席にもよく編集者を誘います。才能があって接待がない作家と、才能はそこそこだけど接待がある作家。私はもちろん後者で、しかも「一人電通」の営業マンも兼ねています。さて、編集者がどちらを選ぶのか?〉(上掲書内 「接待の重要性〜VOW!」)

 

酒の席接待の席はセクハラパワハラモラハラの温床になりやすいから、どこまで付き合うかは各自の判断だが、フリーランスキングみうらじゅん師ですら“接待”と“営業”してるということは知っていてもよいだろう。

組織人よりもむしろ一人で荒野で戦うフリーランスのほうが“接待”と“営業”は必要なのだと思う。

 

「コスパが悪いから飲み会は行かない」というのもいいが、まあほかの考え方もあるということくらいは遺言しておきたい。まだ死なないけど。