船橋市・中條医院を継承して1か月あまりが経ちました。
まだまだ不慣れですが、少しずつ慣れてまいりました。スタッフはじめ、まわりの皆様のおかげです。
中條医院を継承するにあたり、いろいろ考えたことを書き連ねて参りました。
話の順番としてはその1からその3までマクロな話からだんだんとスケール感を落としてきて、最後は超ミクロ、個人的な話になってまいります。
「開業医」の悩みと処方箋あれこれ
昔、勤務していた病院でのこと。
先輩のドクターが開業のため病院を辞めることになりました。
「ご開業、おめでとうございます」と言ったら先輩がポツリとこう言いました。
「“アガリ”みたいでなんだかさみしいけどね」。
ぼくが医学生のころ、今から二十年ころ前には、「つきつめると、医者には3つのゴールしかない」と言う人がおりました。大学教授か、病院長か、開業医。
大学で研究や教育指導に打ち込み、研究業績を上げて助教授(今だと准教授)、教授とアカデミズムの階段を登りつめる。
あるいはどこかの病院で勤務医として働き、手術をバンバンやって若手を育て、病院長に任命される。
そうしたアカデミズムや勤務医の出世競争から身を引いて、自分でクリニックなどを開くのが開業医。
今は医者にもそれ以外のキャリアがいろいろあるけれど、古い価値観では上記の三つのみが医者のキャリアだったわけです。
また、こんなことを言う人もいました。
「日本の医者が得られるものは限られている。教授には名誉が、勤務医にはスキルが、開業医には金が与えられる。名誉、スキル、金の3つ全てを同時に手に入れることはできない」
むかーしの開業医は経済的にだいぶ恵まれていたようです。今はたいへんですけどね。
大学病院の医者、病院の勤務医、開業医という3つの立場のうち、名誉の順で言えば大学病院>勤務医>開業医という雰囲気が昔の世代の医者にはありました。
ここらへん、日本独自の序列というところもありまして、「公」、「お上」に近いほどエライというか、たぶん五代将軍綱吉のころにつくられた幕府奥医師、大名お抱え医師、町医者の序列(①)を引きずっているんでしょうか。村上もとか著『JIN-仁‐』の中でも幕府の医者エライ的な江戸時代の医者の序列の話は出てきますね。
そこらへんたぶんアメリカは違いそうで、全米一のクリニック、メイヨークリニックなんかは開業医のメイヨー兄弟が設立して大きくしていき、ミネソタ大学設立にお金出したりメイヨー医学校つくったりしている。映画『パッチアダムス』の中で、パッチアダムスを退学させるかどうかの大学の会議に、地域の開業医の代表者も会議の一員になっているのを観てへーと思った記憶がある。ぼくが医学生だった二十年前は、大学はいわゆる「白い巨塔」的だったのです。
ウンチクばかりで本題に入れませんでした。終わらないんでもうちょっと続きます。
①新村拓『日本医療史』吉川弘文館 2006年 p.102 日本の医療を歴史の面から詳細に語った唯一無二の本。旧・厚生省の設立理由の一つが結核の蔓延で徴兵制度がうまくいかなかったこと(p.266)であるなど、この本で学んだことは多い。「その国の医療制度を論じるには、歴史を知らなければならない」。