「どこでもドア」を開けそこなった男の話が、小山薫堂の本に出てくる。こんな話だ。
ゆるキャラ「くまモン」のプロデュースでも知られる放送作家、小山薫堂が満員の地下鉄に乗っていると、隣の若いサラリーマンが熱心に本を読んでいる。赤ペンで線を引きつつ付箋もたくさんつけ、その本を相当に読み込んでいる様子だ。
ふと見ると、小山薫堂が最近一緒に仕事をした相手が書いた本だ。
乗り換え駅で降りると、そのサラリーマンも同じ駅で降りた。
小山はその彼のことが気になりつつもその場を離れるが、やっぱりどうしても一言かけたくなって戻り、駅のホームで本を読み続けるサラリーマンに思い余って声をかける。
「ぼく、その作者と知り合いです。よかったらその作者のことご紹介しますので、興味があったらぼくにメールください」。
そう言って小山は若いサラリーマンに自分の名刺を渡した。
何日経っても若いサラリーマンからメールは来ず、小山は作者を紹介することが出来なかった。そのことを小山が友人に話したら、友人は言ったそうだ。
<(略)「その彼は、目の前に“どこでもドア”があったのに、開けなかったんですね。なんてもったいないことをしたんだろう」>
(小山薫堂『もったいない主義』2009年 幻冬舎新書。エピローグより)
自分が熱心に読み込むほどの本の作者に知り会えるチャンスがすぐ眼の前にあったのにその<どこでもドア>を開けることをしなかった若いサラリーマンは、今でもそこにチャンスがあったということすら気づかないままだろう。
そんなことって案外日常生活では多々あって、ぼくらはいくつもの<どこでもドア>を見逃しながら日々を暮している。ぼくは、今まで逃してきた数多の<どこでもドア>を思うたびにくらくらとめまいがする。
「そのうち飲もうよ」という言葉も、社交辞令のままでいれば何も起こらないけれど、「じゃあいつにしようか」と実際に日程を決め始めることで<どこでもドア>がちょっとだけ開く。
明日もいくつもの<どこでもドア>がぼくらの生活の中で現れてくる。
それは人との出会いであり、本の中の一節であり、たまたま立ち寄ったカフェで耳に飛び込んでくる隣の人の会話の言葉のひとかけらだ。出来るだけそうした<どこでもドア>を見落とすことなく、果敢にドアを開けていきたいものだ。
開いたドアの先に待っているのが素晴らしき新世界か、はたまた取り返しのつかない地獄かはわからないけれども。
(FB2014年5月2日を加筆再掲)