息子がもっと幼いころ嫌いだったものに、『ドラえもん』がある。
不思議に思って理由を聞くと、「ジャイアンが怖いから『ドラえもん』嫌い」と息子は言った。
たしかにジャイアンは怖い。なにしろ体が大きいし乱暴だ。
わがまま勝手ですぐ暴力をふるい、ほしいものはなんでも奪っていってしまう。
「おまえのものは俺のもの、俺のものも俺のもの」というジャイアニズムの提唱者として知らぬ者はいない。ほうっておいたら『ジャイアニズム宣言』(愛称ジャイ宣)を出版して一世を風靡しかねない。心の友よ。
すぐにリサイタルを開きたがるくせに持ち歌は一向に増えないし、歌詞だってたいていは「ボエ〜〜っ」だ。
アメリカで放送されている『ドラえもん』ではジャイアンの名前は「Big G」だそうだが、このBig Gという名前も、ツーサイズくらい大きいぶかぶかのスポーツウェアを着てヒモなしのアディダスのスニーカーを履き、ゴールドのぶっといネックレスをブリンブリンいわせながらセルアウトした昔の仲間やワックなMCに次から次へとビーフとディスを仕掛けて際限のないコースト同士の抗争を繰り広げていくオールドスクールでギャングスタなラッパーみたいでおっかない(ここの部分読み飛ばしてください)。
ジャイアンはあくまでもあだ名で本名は剛田武(ごうだたけし)なはずなのに、妹の名前が剛田ジャイ子(ペンネームはクリスチーネ剛田)なのも底知れぬ恐ろしさがある。
だがしかし、ジャイアンが恐ろしくて悪だからといってジャイアン抜きのドラえもんワールドが成立しないのもまた事実だ。もしジャイアンという悪が存在しなかったら、ドラえもんワールドはどんなにかふぬけたものになってしまうだろうか。
ジャイアンという悪がいるからこそ、ドラえもんをはじめとした味方を得ながらのび太は必死にサバイバルしようとするし、そこに様々なストーリーが生まれるわけである。
悪がいなかったら、この世はどれだけ単調でつまらないものになってしまうだろうか。
そもそもからして悪を完全に抹殺することなど出来ないし、悪がいるからといって生きるのをやめるわけにもいかない。
悪のない世界を夢みることは自由だが、現実的には悪とどう対峙し、悪をどうコントロールするかをぼくらは学ばなければならないのではないだろうか。
曾野綾子は言う。
<(略)悪は存在しているがゆえに学ばなくてはいけないのです。たとえば嵐も洪水も学ばなくてはいけないし、貧困も病気も学ばなくてはいけない。私たちは、すべてのことから学べる。悪からも善からも、実からも虚からも、おそらく学べる。狭い見方が敵なのだと思います。悪だからといって、その存在さえも拒否してしまうと、私たちはそこから何一つ永遠に学ぶことはできなくなる。悪も善と同じくらい、存在を意識すべきものなんですね。>(曾野綾子・クライン孝子共著 『なぜ日本人は成熟できないのか』海竜社 平成15年 P.22-23)
悪も善も、実も虚も渾然一体となった、天国でも地獄でもないこの世の中でなんとか生きていく術を、ぼくらは子供たちに教えていかなければならない。
「ジャイアンがいるから『ドラえもん』イヤだ」。
小さいころ息子はそんなことを言った。
あれから幾年が経った。
まだまだ小さい我が子に、人生の先輩として何から教えてやればいいのかぼくは今も模索している。
答えはそう簡単には出てこない。
仕方がないから、とりあえずは手始めに「ジャイアンは映画だといい奴なんだよ」と教えてやろうと思う。
ボエ〜〜っ。
(FB2014年8月9日を加筆再掲)