共感覚/synesthesiaという現象がある。
特定の音を聞いたときに色を感じたり、数字を見ると色がついて見えるというように、ある刺激を受けると別の感覚も一緒に感じるというものだ。
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊、ふたたび』(角川書店 2005年)によれば、数字に色がついて見えるタイプの共感覚の持ち主は200人に一人の割合でいるという(同書p.108)。
もっとも有名な共感覚の表現はアルチュール・ランボーの詩『母音』だ。
<Aは黒、Eは白、Iは赤、U緑、O青よ、母音らよ、
いつの日かわれ語らばや、人知れぬ君らが生い立ちを。
Aはそも、痛ましき悪臭にまいつどう銀蠅の
毛羽立てる黒の胸衣よ、暗き入江よ。>(『ランボー詩集』新潮文庫 昭和26年 p.76)で始まるこの詩の作者ランボーが、実際にAという文字を目にしたときに黒を見、場合によっては悪臭と銀蠅の羽音すら感じていた共感覚者だったのか、あるいは単なる文学上の比喩だったのかはわからない。
だがたしかにこうした共感覚の持ち主というのは存在する。
ぼくの知人の一人もこの共感覚者である。
本人の許可を得て、共感覚者がどのように世界を感じているのかを述べてみたい。本人から聞いた話をそのまま記載する。以下、「」内はご本人から聞いた話をそのまま書いたもので、一切脚色は加えていない。
「昔から、字に色を感じます。たとえば<高>という字はナスのような色。
1は白、2は黄色、3は黄緑でオレンジに見えることも。
4はショッキング・ピンク、5は真っ青、6は薄茶、7は藤色。
8は紫、9は黒っぽくて、0は金属色。
4と7は女性で、5は男の子を感じる。
音によって色を想起することもあって、<佐賀>と聞くと黄緑・緑を感じるし、<大分>は黒」(共感覚者本人談)
この共感覚という現象が実際に存在することを示すために、ラマチャンドランはうまい実験を考案した。5が緑で、2が赤く見えるという共感覚者二人を見つけてきて、たくさんの5と2がランダムに混ざりあったコンピュータ画面の中から、できるだけ早く2をピックアップしてもらうのだ(『脳の中の幽霊、ふたたび』p.98-99)。
5も2も同じ黒に見える普通の人はすべての2をピックアップするのに20秒くらいかかるのに、5は緑に、2は赤く見える共感覚者は即座に2を拾い出したという。
共感覚者は、片頭痛などに合併することが知られている(古川哲雄『天才の病態生理 片頭痛・てんかん・天才』医学評論社 p.102)。また、芸術家には共感覚者が少なくないという。古川は、音楽家のフランツ・リストや画家のカンディンスキィなどを共感覚を持つ芸術家として挙げている(同頁)。
芸術家に共感覚者が少なくないと聞くと、共感覚の持ち主に対してロマンチックな憧れを抱いてしまうが、本人にとっては戸惑いや困ることも多いらしい。
「色の刺激で頭痛がひどくなるのです。特に黄色が頭痛を起こしやすい。
模様やコントラストのあるもの、原色だとつらいです。
逆に、無印良品的な白とか黒とかああいった色合いの部屋はラク。
あと、デジタル時計で数字の色が変わるのもダメ」(本人談)
共感覚の持ち主にとってほかにも嫌なものがあるという。
電車の路線図だ。
「○○線という音や字で自分が感じる色と、実際の路線図の色が違うでしょう。だから、路線図を見ると気持ち悪くなるのです。
まるで緑色で<赤>って堂々と書いてあるのを無理やり見せられている気になります。
そうした違和感が、私にとって日常なのです」(本人談)
なぜそうした共感覚というものが存在するのかについて、ラマチャンドランは魅力的な説を提唱している。すなわち、我々は皆、多かれ少なかれ共感覚者だ、という説だ(『脳の中の幽霊、ふたたび』p.110)。「鋭い音」(触覚と聴覚)、「うるさい模様」(聴覚と視覚)、「やわらかい色」(触覚と視覚)などの言語表現が成り立つのは、人間が共感覚を持つ証拠だというのである。
これは非常に魅力的な仮説であり、おそらく正しいのであろうが、疑問も残る。実際の共感覚者の話を聞いてみよう。
「ほかの共感覚者の人が書いたブログを読んで、数字と色の対応違うととても不快に感じてしまう。まるで<1+1=3>と堂々と書かれているような違和感」(本人談)
mixiにある共感覚者の公開コミュニティを覗くと、確かにそれぞれの共感覚者によって特定の数字に感じる色は異なる。1を白と感じる人もいれば、赤く感じる人もいるようで、数字と色の結びつきは個人差がはなはだしいようなのだ。
共感覚が人類共通のものであり、だからこそ触覚と視覚、視覚と聴覚などを結びつけた比喩表現が生まれたとする説が正しいのならば、特定の数字の形と色との結びつきも万人共通でなければならないように思われる。
共感覚の持ち主から聞いた話でもう一つ気になることがある。しつこいようだが、本人の了承を得て書く。
「最近、遮光眼鏡をかけるようにしたら、文字や数字に色がついて見えることが減った」(本人談)
これはいったい何を意味するのだろうか。
紫外線などをカットする遮光眼鏡をかけていても、見える数字の形は変わらない。共感覚が数字の形が色を感じさせる現象であれば、遮光眼鏡をかけていてもいなくても同じように数字に色がついてみえるように思えるのだが。
人間の脳というのは、まだまだわからないことだらけなのだ。
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