2018年11月13日のdmenuニュースによれば、都営バスで全運転手に脳のMRI検査を義務付けるとのこと。これは非常にバカバカしくて歴史に残る愚策である。
目的は、運転手の失神による事故を無くすためだという。常識的な医者の目から見て非常にバカバカしいので、あらためてかみ砕いて説明する。
まず、この件に関して誰かの利権がどうこうということについては言及しない。自由主義経済をドライブさせている大きな要素は個々のプレイヤーのインセンティブで、インセンティブと利権はグラデュエーションをもって地続きだからだ。
ただ、インセンティブ=私益の追求と公益、国益を一致させたりうまいこと併存させたりして「三方よし」の絵を描くのが事業家としての妙味であろうと思う。
さて、「都バスの全運転手に脳MRI」を施行することが天下の愚策である理由をかみくだいて述べる。
①意識消失の原因のうち、脳が原因の病気は限定的。その他は心臓の致死的不整脈や睡眠時無呼吸症候群など、脳以外の病気が原因。日本循環器学会の『失神の診断・治療のガイドライン2012』によれば、失神の原因の5~37%が心臓が原因であり、当然これらは脳のMRIでは見つけられない(*1)
②脳が原因の病気のうち、脳MRIで事前に原因を発見できる病気はわずか。たとえば脳梗塞は、発症するまでは脳MRIは正常(脳の血管がとても狭いなどのリスクはある程度把握できる、がしかしいつ発症するかはわからない)。また、脳の病気であるてんかん発作も、現実的なリスクがあるかは脳MRIでは基本的にはわからない。
③脳MRIで症状が起こらないうちに事前に見つけられるわずかな主な病気は動脈瘤ぐらい(髄膜種などの、症状を呈す前の小さな脳腫瘍は偶然みつかることはある。あと脳梗塞や脳出血のあととか)。一生破裂しないような小さい動脈瘤も入れれば、日本人の20人に一人は脳動脈瘤を持つ(*2)
④症状が出ない脳梗塞の跡が見つかることはあるだろうが、その場合は高血圧や高脂血症などの危険因子(脳梗塞のリスクを高める原因)をコントロールするくらい。症状を出さない脳梗塞のあとが見つかっても、原則として「血液をサラサラにする薬」は開始されない(*3)。「血液をサラサラにする薬」を開始することによって血が止まりにくくなるというマイナス面があるから。
⑤症状を出さない小さな動脈瘤が見つかっても、2018年時点の医学的見解として、原則として数mmの小さなものは様子見となる。小さな動脈瘤が破裂する確率は非常に低く、機械的に見つかった動脈瘤すべてを手術した場合には、手術によって脳を傷つけるリスクのほうが高くなるから。前述の秋田脳研サイトによれば、脳動脈瘤を持つ人が100人いたとして、一年以内に破裂する人の割合は0.85人(*2)。
⑥結果として都バスの全運転手X人に一人あたまY円の費用をかけて脳MRIを行ってた場合、X×5%(日本人の20人に1人は動脈瘤を持つから)の人に動脈瘤が見つかることが予想される。しかしながら前述のとおり、見つかった動脈瘤が手術に至る割合は非常に低い(*4)。
⑦動脈瘤があろうとなかろうと、リスクを下げるために高血圧の管理を厳密に行う、という大方針は変わらない。要するに、年間X×Y円の費用をかけても「やること同じ」ならば、無駄にお金を使い、「あなた動脈瘤がありますよ」と言って無駄に不安を与えるだけである。
⑧補足だが、動脈瘤を発見された人がうつ傾向になってしまうというマイナス面があることは、脳ドックガイドラインにわざわざ記載されているくらい有名な話である(*5)。
ただ残念ながら医者がどんなに異を唱えても、この「都バス運転手全員に脳MRI」なる愚策がすぐには中止にならないだろう。一度決まった政策を中止するのは大変なのだ。
車は急に止まれない。政策も急に止まれない。車についての政策なら、なお急には止まらないだろう。やれやれ。
犬は吠えるがキャラバンは進む。
だがキャラバンが進もうと、犬はやっぱり吠え続けることにしよう。カエルだけど。
*1)ガイドラインp5 本来なら、バスの事故の原因中、「運転手の失神」によるものの割合を言及しなければならない。同ガイドラインの「失神」と「意識障害・消失」を同一に論じてよいかも要検討。
*2)秋田県立脳血管研究センターサイトより。
2.未破裂脳動脈瘤(みはれつのうどうみゃくりゅう) | 脳神経外科で扱う病気と治療について | 脳・神経の病気について | 患者のみなさまへ 【秋田県立脳血管研究センター】
http://jbds.jp/doc/guideline2014.pdf
*4)誰かXとYに代入する適切な数字をご存知でしたらご教示くださいませ。
*5)脳ドックのガイドライン2014 p.71