「ヤバい人」とのつきあいかた。

詳しくは書かないが、人の世には「ヤバい人」というのがいる。
この場合の「ヤバい」はillなスキルを持ったdeepでdopeな「ヤバい人」ではなく、sickでgrossでcreepyな「ヤバい人」のことだ(しかしググるとsickはcoolの意味でも使うんですね。マジやべえ)。
生きていくというのは、そうした「ヤバい人」といきなり出くわすということでもある。そうした「ヤバい人」とどう付き合うかは、人生のサバイバル上、めちゃくちゃ大事である。

 

まず第一に、「ヤバい人」は自分の生活圏内に入れてはいけない。
古来から魔除けというのは、家の入り口に置く。
沖縄のシーサーしかり、神社の狛犬しかり、お寺の仁王像しかり。
あれはどういうことかというと、「魔」というのは、いったん自分の生活圏内に入れてしまうと追い出すのが非常に大変ということだ。神さまだろうが仏さまだろうが、「魔」を一度生活圏内に入れてしまうと追い出すのが大変だからこそ、魔除けを入り口に置いて、「魔」を自分の生活圏内に入れないようにしなければならないというわけである。「ヤバい人」も同様に、自分の生活圏内に入れてはいけない。

 

もし仮に、「ヤバい人」と接触を持ってしまったらどうするか。やむを得ず「ヤバい人」と接触を持たざるを得なくなったら、お日様にさらすのが肝要だ。
「ヤバい人」は、じめじめとした薄暗がりを好む。
一対一で閉鎖空間で接触するのではなく、多くの人の、お日様のごとき暖かくて殺菌効果のある視線のもとでだけ接触するようにすると、本来じめじめとした薄暗がりを好む「ヤバい人」は自ら去っていく(こともある)。

 

第三に、自分を高めていく。
綺麗な花には美しい蝶が集まり、汚れたゴミには蝿がたかる。
自ら美しい花になれば、「ヤバい人」は寄ってこない(といいですね)。

 

第四に、自分が神でも仏でもメサイア(救世主)でもないことを思い知る。
あなたは救世主ではないのだから、自分自身のペースを崩さないで済む範囲内で他者を助ければよいし、なんなら助けなくたってよい。あなたの人生の決定権は、つかんで離すな。
目の前の人を助けなきゃというメサイア・コンプレックスを持つ人は、「ヤバい人」にとりつかれやすい。

 

第五に、「ヤバい人」に期待してはならない。

「あの人がもうちょっと○○だったらうまくいくのに」とか「誠意を込めて対応すればあの人もいつか変わってくれるはず」とか期待してはならない。

非常に大事なことを言うが、「他人と過去は変わらない」。

「ヤバい人」は生まれてこのかた「ヤバい人」だったがゆえに「ヤバい人」なのであり、この先も永遠に「ヤバい人」のままだ。

いつか変わってくれるなんて期待は、してはならない。

 

第六に、「ヤバい人」とかかわってしまったら、逃げろ。

失うものがあったとしても、「ヤバい人」とかかわったら最終的にはすべてを捨てて、はるか彼方まで全力で逃げるしかない。

 

ここまでの話、ピンとこなかった人は幸いだ。このまま「ヤバい人」とかかわらずに人生が続くことを切に祈る。
ここまでの話、ピンときてしまった方、なんと言いますか、道中ご無事で。

 

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