「選択肢の無いことを悩んでも仕方ない」
その昔、ある先輩から言われた言葉だ。
心を乱され悩まされることというのは次から次へと起こる。
その中のある程度は選択肢があり、ある程度は選択肢が無い。
選択肢がある場合にはおおいに悩むべきだろうし、選択肢が無ければ悩もうが悩むまいが結果は一緒だ。
選択肢が無い悩みの最大級は生老病死で、なぜ人は死ぬのか悩んでも「死なない」という選択肢は無い。また、なぜ自分は生まれてきたのだろうと悩んでも「生まれてこない」という選択肢は無いわけだ(文豪によれば、河童の場合は選択肢があるらしいが)。
選択肢が無い悩みの中規模のものとしては「他人」と「過去」がある。
だがやはり、「他人と過去は変わらない」。
どうしてあの人はあんなふうなんだろうと悩んでも、とっつかまえて「洗脳」だの「人格改造」だのやらかす選択肢が無い以上、悩んでも仕方ない。
自分の過去についても、なぜ自分はあんなことをしてしまったのかと悩んでも、あるいはなぜあの時ああしなかったのかと悩んでも、過去改変できる選択肢は無いので悩んでも仕方ない(でも悩みますけどね)。
「神よ、変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる強さを、そして両者を見分ける賢さを我に与え給え」というヤツですね。
ぐるぐるぐるぐるループする悩みに襲われることがあったら、冒頭の「選択肢が無いことを悩んでも仕方ない」という呪文で断ち切っていただければ幸いだ。
選択肢がない悩みで悩んでいるヒマはない。選択肢がない悩みに悩んでいる間に、次の悩みのタネが自然発生しているはずだからである。合掌。