アメリカ・ダートマス大学のブランチフラワー教授らの研究によれば、人生で最も幸福度が低いのは47歳くらいなんだといいます。
僕自身も40代後半、逃げも隠れもしないミドルエイジでまさに他人事ではありません。
40代後半になると思うところもいろいろありまして、人生の中締め的に総括も兼ね思うところを。10代の日々が二度ないように、40代後半の日々も二度とないわけですから、しっかりと味わわないとね。というわけで、ギミック無しオチ無し、egotism(オレがオレがという語り口)多めです。
まあなんと言いますか、40代後半はいろいろとキますね。伊丹十三がかつてこんなことを書いてました。
〈夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。〉(『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫p.274)
職業人としても家庭人としても、〈真中まで漕ぎ出してしまって〉行くにも帰るにもまだまだ漕いでいかなければならないような、ニッチもサッチもいかないようなそんな感じが40代後半なのかもしれません。
そんなことを書きながらも、淡々と日々を送る生活スキルはさすがに身についていますのでご心配なく、ではありますが。
なんというか、元気は元気なんですよ。
ミドルエイジクライシスなんて言葉がありますが、いざ自分がその年代まっただなかになると思うのが、「はてさて、これからどうやって人生を送っていったものだろうか」ということです。
そんなときに助けになるのはやはり先人の言葉です。
内村鑑三が明治27年に若きキリスト者たちにこんな問いかけをしています。
いつの日か我々は、魂の学校たるこの世界を去らなければならない。その時に、我々は、この地上に何も遺していかなくてよいのだろうか、遺していくとしたら、何を遺していけるのだろうか、と(『後世への最大遺物』岩波文庫)。
自分語りは控え目にするほうなんですが、40代後半の思いをつらつら書いております。
年若き友人の方々は「ふーん40代後半ってのはそんな心境かいな」、同世代の方々は「あるある」「オレは違うぜ」、諸先輩方におかれましては「まだまだ甘いな、人生の底はもっと深いぜ」などと思っていただければ幸いです。まだ深いのか、底。
さて40代、特に後半になって去来するのは、「これからの人生、どうするかなー」という思いです。
人生100年時代、まだまだ先は長い。
かといって、これからアイドルになれるわけでもなく、現実的には選択肢に範囲はある。
まったく新しいことにチャレンジしてもいいが、それこそ現実的には新しい選択肢に賭け金全てベットするわけにもいかない。
まだまだ悩む必要性も、悩むことの出来る可能性もあるのが40代でございます。
ぼく自身は(egotism開放)、40代手前までいわゆる「人生読本」を封印してきまして、というのは影響受けすぎるのがイヤだったからです。
40代が見えて初めて、ああした「人生こうすべし」的な本に手を出しました。車輪の再発明がごとく、手本見本になるものはなんでも頼れという心持ちになったからです。
「これからの人生どう送ろう」という課題に対し、今いちばん影響を受けているのは内村鑑三『後世への最大遺物』です。
明治27年、箱根にて、内村鑑三は若きキリスト者たちにこう問いかけました。
魂の学校たるこの地上に生まれ出て、我々は何を後世に遺してあの世に行けるだろうか、と。
内村鑑三が言った、後世に遺していけるものでまずいちばん良いのは、実は「お金」。
内村鑑三は言っています。
諸君、フィラデルフィアに行ってごらん。そこには立派な孤児院がある。そこには七百人もの孤児がいる。下手したら千人以上おるかもしらん。
これは、フランスのジラードという商人が、〈「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない。けれども、どうか世界第一の孤児院を建ってやりたい」〉(前掲書 岩波文庫p.22。「建ってやりたい」は原文のママ)と願って、ひたすら働いて一生涯貯めたお金で建てたものだ。
このように、正しいやり方で稼いだ貯めたお金を後世に遺していくのが一番いい、と内村鑑三は明治27年の日本で言っているのです。
もちろんこれは「ツカミ」「前フリ」でまだまだ話は続くのですが、それはともかく、後世に遺す良きものの第一が「お金」って若きキリスト者に平気で言っちゃうとかってあげぽよでカンゾーまじうけるんですけど(すみませんでした。続きます)。