いま積ん読界は、危機に瀕している。
言うまでもなく、こんまりのせいである。
大ヒット『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版 2011年)で、こんまりこと近藤麻理恵氏はこんなことを書いている。
〈そもそも本というのは、紙です。紙に文字が印刷してあって、それを束ねたモノを指します。この文字を読んで、情報をとり入れることが、本の本当の役割です。本に書いてある情報に意味があるのであって、「本棚に本がある」こと自体に本来、意味はないわけです。〉(p.123)
なんということだ。これは積ん読界に対する明確な宣戦布告、「そもそも本というのは紙です」というトキメキ人間と、「そもそも本というのは神です」という積ん読人間が相入れるはずがない。
よろしい、ならば戦争だ。
戦うためには敵の研究は欠かせない。
牧野智和『日常に侵入する自己啓発』(勁草書房2015年)によれば、片づけで人生が変わる的な思想が流行り出したのは2000年代後半からだという(p.217 第五章『私的空間の接合可能性』)。
牧野氏はさらにその源流を辿る。
〈掃除という行為に自己啓発、より精確に述べるならば修養や精神浄化の契機を見出そうとする思想の根は深い。教育学者・沖原豊の編著による『学校掃除ーその人間形成的役割』(1978)では、ケガレを忌み、それをみそぎ・はらうという神道等に由来する清浄感、掃除によって悟りを開いたとされる周利槃特(しゅりはんどく)以来の仏教、特に禅宗における掃除(物の掃除)と修行(心の掃除)の結びつき、茶道や儒教における礼法としての掃除の重視とそれに関連する家庭でのしつけ、寺子屋・私塾・藩校における掃除の伝統等の思想的底流が紹介されている。〉(p.226)
「そもそも本は紙です」と言い切るトキメキ人間軍の思想的源流がそこまで深いとすれば、かなり手ごわい戦いになる。