酒飲みがどんなに酔っぱらっていてもきちんと家に帰る理由(R)

えー、昔から『酒は百薬の長』なんて申しまして、上手につきあえばこれほど結構なものはございません。
話ははずむ、つまみはおいしい。一人でちびちびと飲むお酒なんてものもまた、オツなものでございますな。
つきあいかたを間違えるとこれはまた大変なものでございまして、『百薬の長』ならぬ『百厄の長』なんて具合になってしまいます。

 

お酒飲みというのはまあ不思議なものでございまして、どういうわけかみんなどんなに酔っぱらっていてもキチンと家に帰ります。
ふらふらしながらもどうにかこうにか自分の家にたどりつきまして、記憶がなくなってもちゃーんと自分の布団で寝ている。
小難しい言い方をすれば『帰巣本能』なんて言いますんでしょうか、どんなに酔っぱらっていても自分の巣に帰っていくんですな。

 

あれはまあどういうわけかっていうと昔から不思議に思っていたんでございますが、最近ふと気がついた。
どうやら酔っぱらって『帰巣本能』が働くような人たちだけが子孫を残して来られたんじゃないだろうかってことでございます。

 

人間の進化の過程ってえものにおきまして、おそらくってえと酔っぱらって山に登りたくなるような『登山本能』や酔っぱらうと海に飛び込みたくなるような『ダイブ本能』をお持ちの方ってえのもいらっしゃるんでしょうが、そうした人たちってのはどっかでやらかしてしまって、よっぱらって山や海から帰れなくなって歴史から抹殺されてしまった。そうするとそうした『登山本能』や『ダイブ本能』をお持ちのかたの遺伝子ってえのは残されません。


かつていらっしゃった様々な『本能』の遺伝子はこうやって淘汰され、酔っぱらったあとモーローとなりながらも自分の巣に帰りつく『帰巣本能』をお持ちの酔っぱらいの方々が、子子孫孫と生き残ってきた次第じゃあないでしょうか。

 

落語の世界でもそうしたお酒好き&『帰巣本能』の遺伝子をお持ちの人の話ってえのはあるもので…

 

ただいまっ、今帰りました。うい~酔っぱらっちゃった…
(以下『親子酒』)
(FB 2015年8月29日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

美しく歳を取るということープレジデント誌『セクハラにならない誘い方、口説き方』に想う。

Twitterで話題だったので怖いもの見たさで買ってみました『プレジデント』2017.7.31号。何が話題かと言うと「セクハラにならない女性部下の口説き方」という記事。

弁護士の監修がついているにも関わらず(いや監修がついているからなお)、読後感のたいへん悪い記事だった。

<上司が異性として興味を持っている部下に、いきなり1対1で夜の飲み会に誘うのは、後からセクハラとして認定されやすい。>(『プレジデント』2017.7.31号 p.55。以下同頁)と、冒頭の設定から今どきどうなのって書き出し。

そのあと続くのも、セクハラに認定されないためには<仕事にかこつけず(誘いの)声をかける>(カッコ内は筆者補足)、<(2次会には)コスパの観点から、ジョナサンやすしざんまいなどをお勧めしたい>、<事前にホテルを確保しておくのであれば、シングルとセミダブルの2部屋を予約する。この方法であれば、「別々の部屋に泊まろうと思っていた」と言い訳ができるし、口説くことに成功した場合はセミダブルの部屋を利用できる。>、<またチェックインする前に、一緒に近隣のコンビニでお酒を買うのも役に立つ。一般的に、2人でホテルの同じ部屋に入り、そこに一緒に買ったお酒を持ち込むという行為は、「合意の成立」を推認する重要は判断要素となる。>と常に言い訳、逃げ道を作りつつ、なんとかしてなんとかしようというセコい感じがあふれ出ている。なんていうか、「粗でなく野でなくひたすら卑」って感じだ。

 

こんなんだったらシンプルに、「惚れた!つきあってくれ!」と真正面から玉砕しにいったほうがいっそ清々しい。まあでも「プレジデント」編集部はそうは思わないからこそこの記事を載せたんだろう。よく載せましたねこんなの。

 

1か月ほど前に、「ちょいワルジジ」の勧めというのがちょこっと炎上した。
美術館に一人で来ているうら若き女性に、「この画家は長い不遇の時代があったんですよ」と付け焼刃の知識で声をかけ、オジさん好きの女子を“落とせ”というものだった。

「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ|ニフティニュース

この記事読んで思ったのが、もし自分が美術館好きの女子だったら、こんなことされたらブチキレるだろうなーってこと。知るべきなのは牛肉の部位じゃなく、恥だよねえ。

ある一定の年代以上の日本人男性には、どうもこういうところがよろしくない人がいますな。自分を安全圏に置きつつ、上から教えてあげる的な絡め手で、その気はないんですよという風をよそおいながらタナボタ的に性的関係に持ち込もうというイヤラシサがある。

そんなねー、タナボタ式にいい話が降ってきて、なにかあってももめずにあっさり相手が身を引いてくれるなんてないですよ、島耕作じゃないんだから。こういう記事読んで真似してもしうまく行かなかったら「ボクたちはみんな島コーになれなかった」という小説書いたりして。正直読んでみたい。

まあ「マンスプレイニング=女性に対して上から目線で教え導くフリをしてマウンティングする」って英単語もあるくらいだから、こういうヤな感じの男性ってのは日本だけじゃなくグローバルな存在なのかもしれない。ヤなグローバル化だな。

 

イヤなオッサンたちの話ばかりでは気分が悪い。

欧米だと、歳をとるなかで「人間として完成を目指す」「魂の成長を目指す」みたいなことを言う人がいるが、日本だとあまりそういうのはないのかなあ。もっとも欧米にも変なオッさんはたくさんいる。よその国の大統領の悪口を言うもんじゃありません。メイク・アメリカ・グレート・アゲイン。

なにはともあれ、否応なく大人の階段を上る40代男子(男子じゃないけど)としては、『プレジデント』誌の記事や「ちょいワルジジ」を反面教師として、どうやったらカッコいい大人の男性になれるか、どうしたら美しく歳を取れるかを研究したいところだ。

 

思いつくまま美しく歳をとったカッコいい大人の男性像を述べてみる。
まずは映画「セント・オブ・ウーマン」のアル・パチーノ演じるスレード中佐。盲目の元軍人なんだけど、若きレディを相手にタンゴを踊り、感謝祭の休暇中に自分の面倒をみるアルバイトの名門高校生を守るために格調高いスピーチをかます。スピーチのシーンは思い出すたびに涙が出そうになる。

 

映画「イル・ポスティーノ」で出てくる老詩人もカッコよかったなあ。ナポリ湾の島で、郵便配達人の青年と友情をはぐくむのだ。

実在の人物で言えば以前にお会いしたM教授も素敵だった。
IT分野の第一人者のお一人だが、自分の研究分野のことをキラキラとした目で雄弁に語り、若手の質問に真摯に答え、偉ぶるところはなく、60歳を過ぎてなお好奇心のかたまりのような方である。

 

スレード中佐と老詩人とM教授と、「プレジデント」と「ちょいワルジジ」との決定的な差は何か。それは、相手の肩書や属性によって態度を変えるかどうか、相手と対等に人間対人間として向き合うつもりがあるかである。

「セント・オブ・ウーマン」のスレード中佐は傲慢で威張り屋で嫌われ者だ。しかし自分と魂が触れ合った者に対しては、さえない高校生だろうが対等の存在と認める。逆に自分が認めぬ者に対しては高校生だろうが名門高校の校長だろうが容赦なく糾弾する。

「イル・ポスティーノ」の老詩人もまた、無学な若者であろうとそんなことは関係なく郵便配達人を友とする。
M教授もまた、相手が若者だろうと門外漢であろうと、分け隔てなく議論に取り組んでくれた。

それに対し、「プレジデント」の記事は、「部下」「若い女のコ」にはここ抑えとけばセクハラって言われないだろうという一種の卑しさ、相手を一個の人間ではなく部下や若い女性という属性でタカをくくるようなところがある。「ちょいワルジジ」も然りだ。

歳を取るのは簡単だ。だが、美しく歳を取るのは容易ではない。アンチ・エイジングだけではなく、ビューティフル・エイジングも大事なのだ。

あ、そういえば、美しく歳をとったカッコいい大人の男性がもう一人いた。高田純次氏である。
ちょいワルジジ」ネタが炎上したときにこんなコメントをネットで見かけた。

曰く、高田純次になら声をかけてもらいたい、「この画家の生涯、ご存じですか?ぼく、ぜーんぜん知らない」とかテキトーに声をかけてもらったら、心底シビれると思う。

心より賛同する。

付記)プレジデント誌の記事、気になってtwitterとかで評判をチェックしてるんだけど、その中で「メールで誘わないのは証拠を残さないためなんだろう」という指摘を見かけてさらに陰湿さを感じた。記事には「メールで誘わないこと」とかは書いてないけど、たぶんその指摘はあたってると思う。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

今こそ考えたいエロマンガと表現の問題

<人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。>

週刊文春のコラム<みうらじゅん 人生エロエロ>はいつもこうして始まる。

人生の残りの3分の1でゆるキャラを事業化したり仏像大使を務めたりしているのだから、みうらじゅんというのはすごい人である。

 

先日、思わぬ時にエロマンガの現物(の写真)を見てびっくりした。思っていたよりもずっと美しい。

エロマンガのことを知ったのは小学校高学年か中学校のときだろうか。そのころはエロマンガという文字を見ただけで誰もがコーフン状態で、いつの日かホンモノのエロマンガを見るんだなんて意気込んでいたが、実際にエロマンガの現物を見ることができた者はほとんどいないんじゃないだろうか。
だって遠いんだもの、エロマンガ

エロマンガはオーストラリアの横にある島で、人口は約2000人ほど。バヌアツ最大の島である。
つづりはErromangoで、最近では「エロマンゴ」とか「イロマンゴ」と表現されることが多いようだ。

なにやらエロティックでコミカルな響きなので、古来より日本の悪ガキ・アホ男子に大人気の島名である。

 

こうした、日本語で表現されると面白く響く外国の地名や人名というのはたくさんある。

エロマンガに続いて有名なのはスケベニンゲン。オランダのビーチである。インドネシアキンタマーニ高原も有名だし、チェコにはフルチーンという町もある。今回の調査で知ったが、アメリカ・ミシガン州にはボインシティという街があって、そこにはボイン川という川が流れている。

下品な話題と腹を立てるかたにはニュージーランド旅行をお勧めする。そこにはオカタイナ湖があなたを待ち受けている。

逆に日本語の地名などが他国の人々にとって可笑しく聞こえる例もある。
最近有名なのは「近畿大学」で、英語話者にとっては「kinky univ.=奇妙な、変態な大学」と聞こえることがあるとか。
Kさんからは「関東平野」も結構ヤバいという情報が寄せられた。平野は「hair」だそうで、さらに前半部が特別ヤバいらしい。
遠藤周作はフランスに留学しているときに食事中、「日本語ではムシューをなんといいますか?」と話題を振られて、「“閣下”といいます」と答えて子どもたちの爆笑を買ったという。フランス語でカカは排泄物の事を指す。「長靴下のピッピ」は大丈夫かなー。
スワヒリ語圏にいけば「熊本」は大変卑猥な言葉になるし、イタリア人料理人に日本では「カツオ」で出汁を取ると板前さんが説明したら大爆笑されたとイタリア語通訳・田丸公実子氏のエッセイにあった。

世界中に、他国語だと卑猥な言葉やののしり言葉の地名や人名があふれているのは偶然だろうか。いや決してそんなことはない、必然なのだ、と指摘したのはロシア語通訳でエッセイストの故・米原万里氏である。
卑猥な言葉、侮蔑の言葉というのは、現在は文化的に抑制されているだけで、もともと生殖にかかわる身体的部位や排泄物に関わる言葉が多い。

生殖・性的行動・排泄というのは人間の生存にとって必須・根本的なことだ。

そうした人間の生存にとって必須で根本的、基本的なことやものの名前というのは、どの言語においても相当原初のころから誕生する。

言語の原初のころに誕生する言葉は、シンプルで短い音節の、多少話し手や聞き手が不正確に発音しても意味が成立する音になる。

シンプルで短くて、多少ゆらいで発音されてもそのものやことが想起されるような表現が生殖・性的行動・排泄に関わる単語として成立し、それがいつからか卑猥・侮蔑の表現に変わって行く。

シンプルで短い音のつながりというのは、他文化・他言語でも容易に見つけることが出来るから、変な外国の地名や人名というのは見つかりやすいのである。
もっとも、単純に面白いからみなが競って見つけるし、聞いた方も記憶に残りやすいというのももちろんあるであろう。

それでは下記URLよりハフィントンポスト特集<世界の「変な地名」 スケヴェニンゲンからアフォヴァッカまで>をお楽しみください!
(本日の表題は『今こそ考えたいエロマンガ島と表現の問題』の間違いでした。謹んでおわび申し上げます)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/13/world-strange-place-name_n_7575506.html?ncid=engmodushpmg00000003

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

radioclub.style第5回、アップロードしていただきました!

www.nicovideo.jp

6月19日放送の渋谷クロスFM高橋ひろかつのradioclub.style』、アップロードしていただきました!
助っ人は湘南バリアフリーツアーセンターの 松本 彩さん!
ゲストはプロビティ・グローバルサーチ株式会社代表 高藤 たかとう 悠子 さん!テーマは「幸せと仕事」!!!
ニコニコ動画にログインしなくてもご視聴できます。
ぜひぜひご視聴ください!!!

radioclub.style05 ラジオ/動画 - ニコニコ動画

仕事に必要な知恵はすべて公園の砂場で学んだ

男たちがうつろな目をしてただもくもくと土を掘り返している。

「ダメだよ、ちゃんとやって!」、時折聞こえる叱責。

ここは帝愛グループの地下帝国ならぬ、日曜日の公園の砂場。

 

日曜日の公園の砂場では、子どもたちが楽しそうにシャベルで穴を掘ったり水を流したり飽きることなく遊んでいる。その横には「やらされてる感」あふるるパパたちがいて、隙あらぱサボろうと死んだ魚の目をしながらただ機械的に砂山を作らされている。

パパたちも楽しくないわけではないのだ。

砂場にきてすぐのパパなんかは比較的やる気にあふれ、「よーしパパ砂山つくっちゃうぞー」とか言ってる。もう見てらんない。

お前らな、シャベルやるからこの砂山作れと。そんな言葉が先着パパたちの心をよぎるのである。

 

子どもたちは砂場についてしばらくすると<ボス>と化す。ここに山を作れ、あそこを掘れ、水を持ってこい。

パパたちがノッているときはいいんですよ。だがね、良い時は長くは続かない。

<ボス>たちの気まぐれな指示に、次第にパパたちの心が死んでいく。
さっきまで富士山つくるっていってたのに、完成する前に心変わりして唐突に山を崩し始める。「じゃあここにお城つくるってことね。パパ、塔を作って」とか言いだす。
富士山の横にお城の塔だって?それじゃあ高速道路沿いのラブホテルみたいじゃないか!と毒づきながらパパたちの心は次第に週明けの会議のことなんかを考え出す。

塔できたよ、と<ボス>を振り返ると、<ボス>はとっくの昔に遠くの水飲み場に行ってしまい、水なんか飲んでいる。
プランードゥーチェックーアクションではなく、プランーデストロイーコンフュージョンーアウェイの、悪魔のPDCAサイクル

 

そんな砂場の<ボス>たちの気まぐれな指示に疲れ、パパ達は罪悪感を感じながらついスマホに手が伸びる。FBでぼやいたり、ネットニュースみたり。

とたんに<ボス>に見つかって「パパ、スマホいじってないでパパもちゃんと作ってよ!」と怒られる。なんだこの苦行は…。

 

普段はスーツでバリバリと部下に指示を出しているパパたちは、日曜の公園で久し振りに理不尽な仕事に耐えるハメになる。パパたちが指示する我が子から学ぶのは、完成図が見えない作業はつらい、自分のしている作業の意味がわからないとつらい、言葉での指示が不明確だとつらいなどなど。

うつろな目をしてパパは考える。「砂場で人生を学ぶ、か。たしか昔そんな名前の本があったな…」

ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出書房新書)が日本で出版されたのは1990年のこと。

カウボーイや画家、牧師など様々な職業を経験したフルガムには毎年春に、自分の生活信条<クレド>を書きだす習慣があった。自分はどう生きるべきか、どのように行動し、他人とどう接すればいいか、を言葉にして意識するのだ。

つきつめていくと、フルガムの信条<クレド>はとてもシンプルなものだった。

<何でもみんなで分け合うこと。

ずるをしないこと。

人をぶたないこと。

使ったものはかならずもとのところに戻すこと。(略)>(上掲書 p.17)

などなど。

要するに、フルガムは、人生の知恵をすべて幼稚園で学んでいたことになる。
<人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。>(p.17)

 

日曜の公園のパパたちは、<ボス>の気まぐれな指示に想う。

・プロジェクトを始めるときは、ゴールと完成予想を明確に提示すること

・どのような意図をもってプロジェクトにとりくむか、メンバーできちんとシェアすること

・作業工程が変わるのはかまわないが、その都度シンプルに理由を伝えること

・適度な休息をはさむこと

・メンバーの自発性に任せるのは限界があること。メンバーは必ずしもそのプロジェクトに積極的とは限らない

仕事に必要な知恵もまた、すべて公園の砂場で学べるのだ。

 

数時間後、またもや<ボス>が唐突に言う。

「もう帰るー」。

やれやれ、やっと解放される、と。パパたちは安堵する。

残されたのはもともと富士山だったはずの、ナゾの城とトンネルと泥水。

「腰、痛っ」。しゃがみっぱなしだったパパたちは腰を伸ばしてシャベルやバケツを回収する。

 

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』の中にはほかにも大事な<クレド>が書いてあったような…パパは想う。

ああそうだ、<おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。>(p.18)だ。
そうだな、それはとても大事なことだ。

パパはそう考えて、小さな<ボス>の手を握りしめて、家路に着く。
手をつないで、はなればなれにならないようにすること。

遠くで、役所のスピーカーから『夕焼けこやけ』が流れる。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

関連記事

hirokatz.hateblo.jp

hirokatz.hateblo.jp

hirokatz.hateblo.jp

手を伸ばせ、北辰へとー「このハゲー!」パワハラ女性議員に想う。

数パーセントのアップはやむを得まい。

とある一室で、男は深くため息をついて天を仰いだ。

これから来るであろう不毛の時代を数年先伸ばしにするだけかもしれない。

だが数パーセントアップすることで、再び豊かな青春の日々を取り戻せる可能性があるのなら、やってみる価値はある。

そう決意し、男はパソコンのエンターキーを叩いたのだった。

 

ここ数日、某女性議員の秘書に対する暴言のニュースが話題だ。

怖いからまだ生声のデータは聞いていないが(なにもわざわざ自分から気分が悪くなる行為をすることもない)、男性の秘書を物凄い勢いで怒鳴り「このハゲー!」と罵倒するのだという。徳のないことである。

 

他人の悪口の中で、身体的特徴をののしるのはよくない。自分の意志でどうこうできないことをあげつらうのは最低の行為で、男性の禿頭の悪口はその筆頭である。

「ハゲをからかってはいけない」と男性がたしなめるとこんなことを言う女性がいる。

「なんでダメなの?ハゲでもカッコいい人いるじゃない、ブルース・ウイリスとか。私好きよ、ブルース・ウイリス」。
そりゃあブルース・ウイリスはカッコいいが、ハゲの男性が誰でもテロリストを倒したり隕石から地球を守れるわけではない。テロリストを倒せないハゲや隕石を破壊できないハゲはどうしろというのだ。ハゲが登場するたびにエアロスミスが「I don't want to miss a thing」と歌ってくれるのならいいが、エアロスミスはそこにはいない。多くのハゲは一人さびしく「I don't want to miss a 毛髪」と心の中で歌っているのである。

ここまで言ってもわからない女性にはこう言えばわかっていただけるだろうか。

男性のハゲ問題は女性のスキン問題と同等である、と。

 

テレビや雑誌のヘルスケアCMを目をこらしてよくご覧いただきたい。そこにあふれるのはなにか。男性向けの育毛・発毛関連と、女性向けの肌関連の商品だ。極論すれば、それ以外ない。

これを使えば抜けない、生えるという商品と、これを使えば肌がきれいになるという商品が何千億円ものお金を動かしている。

そのくせそうした商品を使用し必死でヘアケア、スキンケアしている人たちは髪や肌をほめられたら必ず言う。「若々しいって?ありがとう。でも別に特別なにもしてないんだけどなー、普通に洗ってるだけだよ」。嘘つけ。なにが髪は長ーい友達だ。

 

世の女性陣に告ぐ。

薄毛の男性にうかつに「大丈夫?髪、薄くない?」と言ってはいけない

なぜなら、男性のヘア問題は女性のスキン問題と一緒だからだ。男性は自らの毛を、女性は自らの肌を守るのに手間も金も惜しくない。

もし女性に対してうかつに「大丈夫?肌、汚くない?」と声をかけてくる男性が居たら、ブチ殺されても文句は言えない。

大事なことなのでくりかえし述べておく。女性のスキン問題と男性のヘア問題は一緒だ。毛問題は、無問題とは違うのである。

少々長くなった。

薄毛の男性に対して「このハゲー!」となぜ言ってはいけないかについて冷静沈着に論理的に述べてみた。一人の社会人として見過ごすことのできない問題だからである。あ、もちろん他人事ですけどね。

 

「子曰く、まつりごとを行うに徳をもってするは、たとえば北辰その所に居りて衆星これにむかふが如し」と孔子は言った(論語 為政篇)。まつりごと、政治を行うときに、力や暴言ではなく、徳をもって行えば自然と人は集まってくる。それはまるで天空の北辰ー北極星ポラリスーが自ら動かずとも、ほかの星々が北辰を中心に集まるようなものだ、という意味だ。

 

暴言女性議員がどうなろうと、それは選挙区の人々が考えるべきことだ。その選挙区の代表として国政に送り出すのがふさわしいと選挙区の人々が思うのならまた投票すればよいし、そうでなければ他の人に投票するだけのことだ。

だがやはり、まつりごと、政治にたずさわる方々にはやはり、徳を高め、北辰ーポラリスーを目指して欲しい思う。

「このハゲー!」とののしる前にののしられる前に、手を伸ばすべきはポラリスだ。できればそれも、リアップより数パーセント濃度をアップした5パーセント以上のものがよろしいと思う。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 関連記事

hirokatz.hateblo.jp

 

Logic-hood's end/クラークふたたび、あるいはAIがもたらす論理の死

SF作家アーサー・C・クラークはかつてこう言った。

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない/Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」

こんなところでクラークと再会するとは。

2017年6月16日のNHK解説委員室では、将棋プログラム「Ponanza」の開発者である愛知学院大学特任准教授 山本一成氏が「人工知能と黒魔術」というテーマで語っている。

「人工知能と黒魔術」(視点・論点) | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス

この中で、山本准教授は<(略)人工知能の性能を上げるほど、なぜ性能が上がったのかを説明できなくなっている>と言う。
山本准教授はこう続ける。
<Ponanzaは私が開発したプログラムなので、細部まで私が考えて作っています。しかも私は、将棋プログラムという狭い領域のことなら、世界でもトップレベルによく理解しています。それでも、Ponanzaはすでに理論や理屈だけではわからない部分が沢山でてきています。
「プログラムの理論や理屈がわからない」とは、たとえばプログラムに埋め込まれている数値がどうしてその数値でいいのか、あるいはどうしてその組み合わせが有効なのか、そういったことを真の意味で理解していないということです。>

将棋プログラムの開発者ですら、なぜそのプログラムが有効なのか論理的に理解できない部分がある、というのだ。非常に有効だがなぜ有効なのか、どのような論理で有効なのかわからない部分を、人工知能AIの開発者たちは「黒魔術」と呼ぶという。

 

イギリス『エコノミスト』誌が編集した『2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する』(文藝春秋 2017年)の中で、ケネス・ツーケルがこんな指摘をしている。
<二〇五〇年までに世界は、効率性と引き換えに因果関係の理解をあきらめることに慣れていくだろう。>(上掲書kindle版 4027/4925)

ツーケルが挙げた例のひとつはコンピュータを使った病理診断である。

 

ツーケルによれば、ハーバード大学のチームはコンピュータ・ビジョンと機械学習プログラムによって乳がん細胞の病理組織からがんの発症を予測できるか調べた(kindle版 3885/4925)。

<生検材料に癌が潜んでいるかを判断するのにアルゴリズムが使った一一個の属性のうち、細胞そのものに関連するものは八個だけだった。あとの三個はそれを取り囲む「間質組織」に関するもので、医師は注目していなかった。つまり、医師の目には見えなかったものが、膨大なデータの分析によって発見されたのである。>

 

病理組織と患者の生存率の膨大なデータを読み込むことで、なんらかのパターンを機械学習プログラムを発見した。そのパターンをどんどん応用することで診断精度を上げていったわけだが、そこには通常の論理、ロジックというものはない。
人間の病理学者の場合には、病理組織と患者の予後についてなんらかのパターンを見つけ出した場合には、因果関係について仮説を立て検証する。どんな理屈やメカニズムがそこに働いて病気を引き起こしているのか、論理を追求し、応用可能なエッセンスを抽出する。

論理こそ人間が人間たる由縁だと近代的人間は考える。論理や因果関係を把握できるのは人間の強みだと思っているのだが、AIからすれば論理や因果関係というのは膨大なデータを迅速に情報処理できないという人間の弱みの裏返しに過ぎないのかもしれない。
膨大なデータをありのままに瞬時に、そして疲れを知らずに延々と情報処理できるのであれば、世界を理解するのに論理は不要なのだ。

 

医療や法律、人事や教育といった分野でどんどんAIが活躍していく。そこで行われる判断は、人間よりもはるかに正確で、成功率が高いものとなる。だがそこに論理はない。ただ単に、ポンと成功率の高い答えのみが与えられる。

AIが下す答えは論理的思考の結果による解答ではなく、「ご神託」とでもいうべきものとなる。

論理と合理性の近代を過ごした人類は、ロジックの塊に見えたAIによって実は論理を奪われていく。

近代を越えた超近代は、一方の極にAIを、もう一方の極に宗教的原理主義を置いて、そのはざまで論理と合理性を蒸発させ、黒魔術と「ご神託」で作られていくわけだ。どえらいことやで。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 関連記事

hirokatz.hateblo.jp

hirokatz.hateblo.jp

hirokatz.hateblo.jp

hirokatz.hateblo.jp