ナナメから見る小室哲哉叩きの失敗~ウケるマスコミ論調のつくりかた

週刊文春による不倫報道が引き金となって、小室哲哉氏が引退を決めたという。
引退なんてしないでもっとヒット曲を書いてもらいたいとし、もったいない限りである。

なんだかんだでタフな人だから、しばらくしたら復活して欲しいと思う。

 

我が家のテレビは機関車トーマスしか映らない設定になっているのでよく知らないが、文春の不倫報道をネタにずいぶんとひどい叩かれ方をテレビ番組でされたという。
twitterに流れてくる感想を見ると、「マスコミやりすぎ」という論が多い。

もちろんtwitterに流れてくる感想にはバイアスがあるわけだが、今回はマスコミ論調の組み立て方が大失敗した例であろう。

マスコミにはマスコミの義もあるだろうが、利もある。
視聴率だの雑誌の売り上げだのは、視聴者読者に気づかれない程度に世論に迎合したものでないと伸びないのだ。
今回、小室哲哉氏に対する世間の感情を、完全に読み違えたように思う。

世論にウケるマスコミ報道には黄金律が三つある。
『お上は悪い』律と『むかしはよかった』律、『運命に翻弄される者が好き』律である。

前二者は、編集家の竹熊健太郎氏が提唱したものであることを明記しておく。

ウケるマスコミ報道を作るには、その三つを踏まえれば外しにくい。
まず、『お上は悪い』律について述べる。
一般視聴者である私やあなたや彼・彼女にとって『お上』となる存在をマスコミが叩けば高確率でウケる。

代表的なものが政治家で、政治家の不倫を叩けばほぼ確実にウケるのは周知のとおりだ。90年代から2000年代にかけて、財務・外務官僚叩き、医者・病院叩き、警察叩きが大ウケして大流行したのをご記憶の方も多いと思う。
『お上は悪い』律に乗っ取ってマスコミ論調を組み立てれば高確率でウケる論を作ることができる。


『むかしはよかった』律も読んで字のごとくだ。
誰しも自分の過去は美化したくなるもの。昔だって嫌なことはたくさんあったけど、嫌なことは忘れ去り、いいことだけを思い出すように、人間の頭ってのは出来ている。

だんだん年齢を重ねると新しいものごとに適応できなくなるので、なおのこと「むかしは良かった」と言いたくなるのだ。

残念ながら新聞・雑誌・テレビの愛好者の大多数は高齢化しているので、「むかしはよかった』律に乗っ取った報道や番組はこれからさらに猛威を振るうだろう。

『運命に翻弄される者が好き』について述べる。

日米中の教科書研究者たちが集まって教科書の相互比較をしたときに、「日本の教科書は、日本をアンダードッグunderdogに描き過ぎる。国際社会の圧力に負けて~~せざるを得なかった、とかいう記述ばかりでてくる」という批判が出たという(出典元の本は本棚探せばあると思う)。

アンダードッグはunderdogで、日本語だと『負け犬』になる。

同じ『負け犬』でも一対一の勝負に負けたルーザー/loserとはちょっと違って、社会的環境・社会の荒波や運命にほんろうされ、無力がゆえに『負け犬』にならざるを得なかった存在を指す(ように思うが英語に詳しいかたいかがでしょう)。
判官びいき」の言葉もあるように、日本人はこの社会の荒波や運命に翻弄されていく人にシンパシーを感じるんですね。

逆に言うと、与えられた環境をものともせずぐいぐいと自力で傲慢に自分の道を切り開くだけの成功者というのはケムたがられる傾向にある。

成功者を描く場合でも、全てを自分で解決している人として描くとうすっぺらくなるが、自分の力でどうしようもない課題もある人として描くとウケる。

さて、今回の小室哲哉叩き報道が世論にフィットしなかったのは何故か。
上記3つの黄金律、『お上は悪い』『むかしはよかった』『運命に翻弄される者が好き』に全て反しているからである。

一連の詐欺事件のため、小室氏はすでに視聴者読者にとって『お上』ではない。
もし全盛期に同様のスタイルの報道がされたらウケたと思うが、今はそうではない。

もし仮に現在もなお売れっ子プロデューサーとして女性アイドルプロデュースに辣腕をふるうA氏が同じ報道をされたら、世論の受け取り方は全然違っただろう。

 

また、小室サウンドの思い出はすでに「むかし」を形成する重大なパーツとなっていることも指摘したい。視聴者読者にとって小室氏は、自分の青春のBGMなのだ。

小室氏を叩くことは視聴者読者の青春の思い出を汚すことになり、『むかしはよかった』律に真っ向から反したわけである。


『運命に翻弄される者が好き』律に関しては、奥様やご自身の病気に関して小室氏はまさにそのものズバリだ。

ぼくは90年代に青春を送った。

当時はコムロサウンドに背を向けていたつもりだった。小室氏の音楽づくりのスタイルは、ずいぶんとビジネスライクに見えたし、若いときというのは売れてるモノを批判したくなるものだ。
だが数十年の月日が流れてみると、ふと口ずさむのは「wow war tonight」だったりして、いやがおうでも時代を染め上げていたのはコムロサウンドだったと思い知らされる。
<たまにはこうして肩を並べて飲んで ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ>。

小室氏にとって、いまがそんな立ち止まる時なのかもしれない。

小室哲哉の復活を期待する。