「ヴェヴァラサナ」の話。

「ヴェヴァラサナ」という言葉をお聞きになったことはあるだろうか。英語表記だとvevarasana、とつづる。

なんとなく聞いたことがあるというかたは相当のマニアかと思う。

「ヴェヴァラサナ」とは<本来は「彼らは(あるいは、人々は)尊敬し合う」という意味の動詞。そこから「遠く離れていても気持ちはいつも通じ合っている」という意味合い(略)>の言葉で、聞いたことがないのも無理はない。

なにしろ「ヴェヴァラサナ」はナミビアボツワナで使われている言葉ヘレロ語の単語で、ヘレロ語を話す人は20万人ほどに限られるのだ(吉岡乾『なくなりそうな世界のことば』創元社 2017年 p.34-35より)。

 

インターネット、なかでもSNSのおかげで友人知人家族の状況というのは離れていてもよくわかるようになった。

昔はわざわざ手紙や電話でやりとりをするか、実際に会う約束をして会話するかしかコミュニケーションの手段はなかったのだが、SNSで遠方の友人の日々の生活の情報がアップされているのを眺めていると、しょっちゅう会っているような錯覚すら覚える。

ありふれた町の片隅にいながらでも遠く離れた外国の友人とすら心を通わせることができるなんて、本当にすごいことだと思う。

 

<僕は自分のことをグローバルな人間だと思っている。グローバルな活動のなかにいる自分が見える。ジェット機に乗り、機械に向かって話し、小さく幾何学的な食事をとって、電話で投票する僕。そんな自分を想像してみるのが好きだ。あちこちの地下室やファッションプラザや学校や街角やカフェに、僕のような人々がいることだろう。同じように考え、静かな時間のなか、風に吹かれて立ちながら、愛と連帯のメッセージを互いに送っているはずだ。>(ダグラス・クープランド『シャンプー☆プラネット』角川書店 平成7年 p.58)

 

小説『ジェネレーションX』の作者ダグラス・クープランドがそんなことを書いたのは今から四半世紀近く前のことで、そのころにはまだfacebookもこの世に存在しなかったけれど、世界各地のカフェや街角や地下室から互いに愛と連帯の電子メッセージを送り合う若者、という美しいイメージは今もぼくの心をとらえて離さない。
実際に電子ネットワークに送りだされるのは嫉妬や憎悪や偏見のメッセージが少なくないのだとしても。

つい先日もSNSが遠くの友人が新しい事業に着手したことを教えてくれた。

世界中の人たちがよりよく暮らせるような事業をするために、プロフェッショナルを集めて会社を設立したという。

考えてみればもう何年も友人とは直接会っていないのだが、遠く離れていても常に尊敬し、刺激を受け続けている。

これが「ヴェヴァラサナ」という感情の動きなのであろう。


Kさん、会社設立おめでとうございます。事業の成功とご活躍をめちゃくちゃ強く祈っています。

恥ずかしながら、診察室から愛と連帯のメッセージを送ります。

愛と連帯のメッセージがもし届いたら、お礼に明太子を送ってください。ではまた。

 

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