「質」を生むには「量」とフィードバックが必要、という話。

とある陶芸教室で学生を2グループに分けた。
片方のグループには、成績評価は作品の「量」によって行う、具体的には作った陶器の総量が50ポンドなら「A」評価、40ポンドなら「B」評価とすると告げた。
もう片方のグループには従来どおり成績評価は「質」で行うと言い、制作するのは一点だけで、たとえ一点でも優れた作品であれば「A」評価とすると話した。
最終日、「質」の優れた作品を提出できたのは、「量」で評価されるグループであった。
(デイヴィッド・ベイルズ他 『アーティストのためのハンドブック(原題はart&fear)』フィルムアート社 2011年 p.61-62)

 

「質」を産むには「量」をこなすことが必要、というエピソードで、ぼくら医療業界でも少なくとも医者になりたて数年間はハードワーキングもやむを得ないという感覚と通じるところがある。たくさん患者さんを診て得られる手ごたえというものがある、というフィーリングだ。医者に「働き方改革」とか言われても、そりゃあそうだけど、やっぱり若いうちはある程度の時間を自分の仕事に投入しないとねえ、みたいにもにょもにょとなるのはそのせいだ。

 

「質」を生むには「量」が必要、という話。

友人Nは言う。「科学もトライ&エラーだからねえ」。
たくさん実験してみて、なにがうまくいって何がうまくいかないかをたくさん集積して科学は進む。だから「成功しそうな研究に重点的に研究資金を配分する」とかの政策をみるとがっかりしてしまう。「成功しそうな研究」は前もってわからないからだ。

試行回数が重要、というのは科学にとどまらない。
「多くのことを成し遂げたいと思う者は、今すぐ一つのことを始めよ」(ロックフェラー三世)、「done is better than perfect」(ザッカーバーグ)などなど、ビジネス界にも多くの格言がある。
主語が大きいけども、日本では完璧主義が強すぎて、失敗してもいいからとりあえずやってみる、とかなんでもいいからまずは完成させてそのあとブラッシュアップする、という感覚が許容されにくい気がする。

もっとも、アメリカでも元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグはこんなことを言っているらしい。<「医学でも科学でも、何かの道を歩いていってそれが袋小路だとわかるだけで、ものすごい貢献だ。その道を二度と行かずにすむじゃないか」と彼は言う。「マスコミはこれを失敗と呼ぶ。だから政府では誰もイノベーションを起こそうとしたり、リスクをとろうとしなくなるのだ」>(『ゼロベース思考(think like a freak)』(スティーヴン・レヴィット他 ダイヤモンド社 2015年 p.248-249)

日本でもアメリカでも、科学もビジネスも、やってみないとわからないし、もしうまくいかなくても<それは「失敗」ではなく、「袋小路の発見」である>(上掲書 p.248)。

ここまで「量」が「質」を生む、という話を書いたが、もちろんやみくもに「量」だけを増やせばよいというものではない。

 

ある研究では、特定の職業では訓練や経験が仕事の質になんの影響も及ぼさないのではないか、という衝撃的な指摘がなされたという。
『失敗の科学』(マシュー・サイド著 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2016年)によれば、心理療法士、大学入学審査員、企業の人事担当者などでは、ベテランやプロと研修生の間に成果の差はなかったという(p.67。あくまで同書によれば、という話で、反証や反論があることは承知している)。

 

その理由についてマシュー・サイドはこう言っている。
いわく、暗闇の中でゴルフの練習を100年しても上達しない(同ページ)。
ゴルフを練習してうまくなるのは、一回一回集中して球を打ち、打った球がどう飛ぶかを見てスイングやフォームなどを絶え間なく修正するからだ。真っ暗闇の中でゴルフの練習をしても、どこにどう球が飛ぶかはわからないし、わからないまま100年練習しても上達しない、というわけだ。

 

心理療法士、大学入学審査員、企業の人事担当などの仕事では、自分の仕事のフィードバックを受け取るのが簡単ではない。フィードバックを受けられるとしても何年も何十年も先になるわけで、フィードバックを受けて仕事のやりかたを改善する、というのが難しい職種である、ということのようだ。

 

要は、「量」は「質」を生むが、「質」を生むには適切なフィードバックを自分で確認できるか、上司やコーチなどにフィードバックを与えてもらう、ということとも不可欠なのだ。

 

 そんなわけで「質」を生むには「量」とフィードバックが必要、という至極あたりまえの話なのだが、そんなことよりもっと気になるのは、冒頭の例、50ポンドの陶芸用土をそのまま提出して「A」評価を得ようとする学生がいなかったかということである。陶芸アーティストとしては失格でも、要求された納品基準をノー労力で完璧にこなし高評価を得るわけだから、商売人としては成功しそうである。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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