経営という名のスポーツ、という話。

「おれらがJ3だとすると孫さんはセリエAとか。たしかにフェイズは違うけど同じスポーツをやってる」彼は言った。「経営という名のね」

 

ある年の暮れ、日本橋の半地下のうどん屋でぼくらは出会った。
ビールのおかげで舌も滑らかになり、互いに饒舌になる。
「東北で起業したんだ。若い人たちが働く場を作りたいってのもある。育ちは関西だけどね」
以前勤めていた会社は辞めたという。

 

「もしどこかでソフトバンクの孫さんと会ったとするじゃない」彼は続けた。
「オレが会社員のままだったら、孫さんは通りいっぺんの挨拶をくれるだけだよね。でもさ、今は『孫さん、いま自分の会社でこんな問題で困ってて』と言えば、孫さんはきっと『あるある、そういうこと。会社経営してるとそういうことあるよね。昔ソフトバンクで同じようなことがあったときはさ』と身を乗り出してくれるはずだよ。それはさ、オレも孫さんも、同じ『経営』という名のスポーツをやっているからなんだよ」
そんなことを彼は言った。

 

「土方ドカタってみんなバカにするが、土方ってのは地球の彫刻家なんだぜ」そんなことを田中角栄が言った。
経営経営というと拝金主義、金儲け好きみたいにバカにする人がいる。
だが、モノやコトを上手いこと組み合わせて今までなかったものを地上に生み出すのが芸術なら、経営もまた芸術である。
経営者という人種は、経営という名のスポーツをし、事業という芸術をこの世に残すのだろう。

 

いろんなタイプのスポーツマンがいて、いろんなタイプの芸術家がいるように、経営者にもいろんなタイプの人がいる。唯一の成功するタイプというのは、存在し得ない。そんなことを『経営者の条件』の中でドラッカーが言っている(ダイヤモンド社 1995年 p.28-29)。
〈そして私は、「成果をあげる人間のタイプ」などというものは存在しないことにかなり早く気づいた。私が知っている成果をあげるエグゼクティブたちは、その気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において、千差万別だった。〉
〈外交的な人もいれば、超然とした内向的な人、なかには病的な恥ずかしがり屋もいた。心配性の人も気楽な人もいた。酒飲みも酒嫌いもいた。魅力的な人も、冷凍した鯖のように冷たい人もいた。〉
〈換言するならば、成果をあげるエグゼクティブは、医者や、高校の先生や、バイオリニストと同じように、千差万別である。〉(上掲書 上掲ページ)
冷凍した鯖っていったいなんだ。

 

だがしかし、成功する経営者には一つだけ共通点がある、とドラッカーは言う。
成功する経営者の共通点といえば、〈成すべきことを成し遂げる能力をもっていることだけ〉だという。

 

成すべきことを成す。言葉を変えれば、前に進む、ということだけが、成功する経営者や芸術家、スポーツマンの共通点なのかも知れない。
経営にも芸術にもスポーツにも、唯一絶対の解決策なんかないからだ。たぶん人生にも。

 

〈「わからないかね、ロビノー。人生に解決策などない。前に進む力があるだけだ。つまりその力を創り出すしかない。そうすれば解決策はあとからついてくる」〉(サン=テグジュペリ『夜間飛行』光文社古典新訳文庫 2010年 p.113。原文はDans la vie il n'y a pas de solutions; il y a des forces en marche: il faut les creer et les solutions suivent.らしい)

 

今日も、前に進んで行きますかね。

 

付記.ドラッカーの「成すべきことを成す」という言葉、「成す」ではなく「為す」ではないかなーと思ったが、本では「成す」だった。ただ「為す」=doだけではダメで、なんらかの形に「成す」=makeとかhave doneまで持っていかないとダメということなのかもしれない。原文みればわかることだが。ここでもやはりザッカーバーグの「done is better than perfect」という言葉が思い起こされる。

 

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