パーフェクト・モーメント。完璧な瞬間。
足りないものなど何もない。余計なものも何もない。
未来のようにいつも懐かしく、過去のように常に新しい、過去と未来のはざまに立ち上った奇跡の一瞬。
旅に出ると、そんな完璧な瞬間を体験することがある。
モンゴル、カラコルムでゲルから抜け出て毛布にくるまりながら見た夜明け。
星空の下、ウルルーのふもとのスターライト・ディナー。
2時間歩いてたどり着き、重い荷物を地面に降ろした途端に教会の鐘が鳴り響いたモン・サン・ミシェル。
綺麗で美しいばかりがパーフェクト・モーメントではない。
蘇州へ向かうオンボロ船で船長に猛烈に怒られたときもある意味パーフェクトだった。
ハバナで街案内の押し売りにあって1ドル巻き上げられたときもパーフェクトである。
高校生のころ、鳥取砂丘の土産物屋の軒先で野宿していたら、午前3時にパトカーがやってきたときも。
〈「(略)まず、あなたからひとつ聞きたいわー死んでお墓にはいって、あたしたちが行くところがどこにせよ、地上でのあなたのいちばんの記憶は何になる……」
「どういうこと……。意味がわからない」
「あなたにとって、どういう一瞬が、この惑星で生きていたことの定義になるか。お持ち帰りは何かよ」〉(ダグラス・クープランド『ジェネレーションX』角川文庫 平成七年 p.145-146)
もし人生が旅だというのなら、とぼくは思う。日々の生活の中にだってパーフェクト・モーメントというのはあるはずだ。
かたわらには息子が歩いている。
息子はマンゴーの、ぼくはチョコミントの棒アイスを食べている。
上野の街は次第に夜が更けていき、ぼくらは地下鉄の駅まで足早に歩いていく。
夜の公園からの風が、少しだけ涼しい。
もうすぐ、夏が終わる。
付記。先に白状しておくと、過去はいつも新しく、未来は常に新しいの元ネタは森山大道です。