ぼくらが中曽根康弘氏から学べるいくつかのこと。

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「子どもの頃、カナリアを飼っていてね、そのカナリアを両手で包んだことがある。小鳥はだいぶ弱っていて、私の手の中で震えている。その手の中の震えるカナリアのぬくもりをね、今でもよく覚えています」
よく伸びた背筋で、老政治家はそう言った。

故・中曽根康弘氏にお目にかかったのは今から十年ほど前。後輩のS君がセッティングしてくれた。S君ありがとう。

 

賛否や功罪もさまざまだろうが、写真の自伝の副題にあるように、「政治家とは、歴史家により裁かれる存在である」という欧米的な感覚をお持ちだったように思う。

 

ぼくはここのところ、「生きる」ということに関心がある。
「生きる」という目で中曽根氏を見ると、学ぶ点がいろいろとある。

 

〈「やっちゃんがいない時は物干し台にいる」と言われた。裏の材木倉庫の二階にある物干し台に上がり、四季を通じて空と山を見ていた。赤城、榛名、妙義、浅間、谷川岳はそれぞれの姿で屏風のように上州の平野を包んでいた。
大気の澄んだ秋、白煙をたなびかせた浅間の肩に落ち行く夕日は荘厳だった。やがて星が出る。ふと自分を取り巻きつつある闇の深まりに驚き、我に返って物干し台から下りる。
その時、宇宙を支配する何物かを感じた。人間は孤独でいる時、人知を超越した偉大なものにあこがれ、空の果てにからの呼び掛けに反応する本性があるのだろうか。明治大正文学全集を片っ端から読破していた私だったが、物干し台の方がその後の精神生活に大きな影響を与えたことは疑いを入れない。〉(『私の履歴書 保守政権の担い手』収載「中曽根康弘日経ビジネス人文庫 2007年 p.472-473)

 

自分より小さく弱い存在への慈しみの心と自分より大きく偉大な存在への畏怖の心、そうしたものを持つ者と持たない者では、仕事や政治のやり方も生き方もずいぶんと違ってくるように思われるがいかがなものだろうか。
(続く)

 

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