人と会うと疲れるという話の続き。

人と会うと疲れるという話の続き。


人間は、誰かと会うと無意識のうちに相手の、正確にはお互いの領域を侵犯しようとする。
会話することによって相手の、正確にはお互いの考えや行動を変えようとする。
人と会うことは、そうした「暴力性」を含有する行為である。
だから人と会うのは疲れるのだ。

しかしながらまた、人と会うというのは素晴らしいものでもある。
誰かと会うことによって我らは、より良い考えを持つことができるようになる(かもしれない)し、より良く行動するようになれる(かもしれない)。
人と会うことは大勝負でありギャンブルである。
勝つと負けるとでは長い目でみて天と地とほどの差ができてしまう。
だから人と会うのは億劫なのだ。
それでも人と人との間に生きる我ら人間は、人と会わなければならない。

糸井重里氏がこんなことを言っている。
〈人に会うのは、風呂に入るのと似ています。
風呂も、入るまでは億劫がってぐずぐずしてても、
風呂上がりに後悔したことはない。人見知りだってなんだって、会うことですよね。〉(糸井重里『小さいことばを歌う場所』東京糸井重里事務所二〇〇七年 p.〇一八)

先日とある立食パーティーで昔馴染みと会場の端っこでチラチラ会場の盛り上がりを見ながら話していたら主催者で今をときめく産業医のO先生が近づいてきて言った。
「まーた似た者同士が集まって。ぼくはこういう人のことを“好奇心のある人見知り”って呼んでる」
この人は昔っから深い洞察と的確な言葉で人の心をえぐってくるな。

それはさておき。

大勝負のギャンブルである人と会うときに勝率を上げるにはどうするか。
まず第一に、うまく人と会うためにはアタマを働かせなければならない。
どんな人と会うか考えねばならぬし、その人がどんな人なのか事前に調べねばならぬ。
会ってからもアタマをフル回転しなければならない。
人と会うのは、知能戦である。

次になんといっても体力。
体力がなければ誰かと会おうなんて思わない。
あちこちのカクテルパーティーをはしごするカクテル・サーキットの猛者なんかは体力の塊だ。
何事も、カラダが資本なのだ。

それから最後に、運の力も必要だ。
なんだかんだいっても、人と会うという大勝負に勝つには、運命の女神が微笑まなければいけない。

では実際に、たとえば初対面の誰かと会うにはいったいいつがよいのだろう?
私見だが、一番良いのは木曜日だと思う。
週の初めの月曜日や火曜日は忙し過ぎる。
かといっていきなり週末に会うのは重い。
木曜日に会えば、相性が悪ければ「明日も仕事ですので」と早上がりができる。
相性が良ければ「週末にまた会いましょう」となる。
疲れることなく誰かと会うという大勝負に勝つには、戦略がいる。


長くなったが端的にまとめるとこうだ。
すなわち、

 

勝てば天国負ければ地獄!
知力体力時の運!
やってこいこい木曜日!

 

以上、みなさまのご参考になれば幸いである。
自由の女神で会いましょう。