現代ビジネス記事『政官財の愚かな圧力で、大学は想像以上にヤバいことになっている』に想う~愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(R)

gendai.ismedia.jp

先日、上記記事を読んで思い出した文章があるので下に引用してみる。

<まず企業側は学校教育の非能率を難じた。教師側も決してうまく行っているとは思っていなかったから、さっそく恐縮、改善しましょうとお人好しにもこれに応じた。
 調子に乗った実業界は、学校はもっと役に立つことをやれ、と注文をつけた。まっさきに槍玉に上がったのが、英語教育。読めるだけの語学ではしかたがない。会話ができて、手紙の書ける教育をしろと文句を言った。学校を出たらすぐ使いものになる学生をつくれ、というわけだ。
 虫のいい考えである。役に立たせたかったら、会社へ入れてから訓練するのが筋であろう。そんな手間はかけていられない。われわれの税金でやっている学校教育だ。もっとわれわれの都合を考えてくれてもいい、というのだろう。
 公私を混同した教育観だが、ほとんど批判を受けることなく天下を風靡した。(略)
 自分のプライベートな利益のために、パブリックなものを利用しようとする考えは、いついかなるときも、卑劣である。
(略)
 現在の学校教育が荒廃していないという人はすくないだろう。どうして、こんなことになったのか。企業と教育ママの身勝手、自分あって他あることを知らぬエゴイズムをふりまわした結果、学校が公教育の場であることをだんだんやめようとしているからである。
 役に立つ教育といったケチな目標でなされることが、子供の魂に火をつけるわけがない。さきの英語教育にしても、役に立つ英語のスローガンが広まるに反比例して、学習意欲は低下した。いまでは「英語などなぜやるのか」と、うそぶいてはばからない高校生がわんさといる。>
外山滋比古『ライフワークの思想』ちくま文庫 2009年 p.175-176)

 
 教育の話というのはしょっちゅう議論になる。
ほぼ100%の人が生徒として教えを受ける立場を十年以上経験しているので、誰しもが教育の「経験者」であり、何らかの考えを持っている。
「私の経験では学校はこうあるべき」とか「ぼくの経験からすると今の教育は間違っている」とかという議論が、エラい人たち(有識者という奴ですね)の間で戦わされ、その都度ニュースになっていく。

 

実は、教育問題について云々したくて冒頭の文を引用したのではない。
面白いことに、上掲書の初出は1978年で、この外山滋比古の上のエッセイ『教育の女性化』は1970年代後半に発表されたものなのである。しかも冒頭の文章の直前には<昭和三十年ごろから財界の教育容喙は露骨になった。>と書いてある。
だから、エッセイの中で書かれている「学校はもっと役に立つことをやれ!」と財界が言ったというのは昭和30年ころの話なのだ。

 

教育問題の有識者会議で「実社会で役に立つ英語教育に変えていくべき」なんて話が今をときめく経営者から出たりするが、なんということはない、ずーーーっと昔っからそんな話をしているわけだ。
これを「変わらない教育現場」の問題と見るのか「繰り返される公教育への不当な干渉」の問題と見るのかはそれぞれの立場に応じて好きにすればよい。
ただ、一つだけ言いたいのは、どんな議論をするときもなにかプランを立てるときも、その問題の歴史的経緯をさらっとでもいいから振り返ってみてから論じたりプランを立てるべきだということである。
自分の経験だけでものを言ってはいけない
 古人曰く、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。

 

会議でもいますよね、「私の経験では」なんていって結論なしにずーーっと自説・持論を展開している人。
もっとも、そうした発言を垂れ流す人にどう対処すべきかは、経験も歴史もなにも教えてくれないが。
(FB 2015年4月12日を再掲)

 

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5月15日月曜日20時から、渋谷クロスFMで『高橋ひろかつのradioclub.style』放送です!

明日5月15日月曜日、20時から渋谷クロスFMで『高橋ひろかつのradioclub.style』放送です!
お相手は旅人のアッキーこと大谷 明氏, ゲストは東京大学大学院で医療福祉の生産性を研究中の阿部真美さん。明日のテーマは『あたりまえ&生産性』です。

20時から上の渋谷クロスFMサイトでご視聴できます!

ぜひごらんください!

www.shibuyacrossfm.jp

 

独裁、マネー、民主主義(R)

「民主主義って正しいってみんな無条件に信じてるけど、ほんとかな?
日本は確かに民主主義だけど、<失われた10年>なんて言われるようにずーっと経済がうまくいっていないよね。
それに比べてシンガポールはたしかに独裁国家だけど、ぐんぐん経済発展している。
そういうシンガポールに住んでいると、民主主義が絶対的に正しいなんて疑問に思うんだけど、どう思う?」
シンガポールで活躍しているNさんにそう話を振られたのは数年前。
唐突にそんな話を振られてぼくはちょっと面食らったけれど、なんとか答えをひねり出して言った。


民主主義と独裁国家ですか。
うーん、民主主義のほうが<勝率>が高いんじゃないでしょうか。

勝率?
Nさんが聞き返す。

確かにシンガポール独裁国家で経済発展してるけど、経済発展してない独裁国家ってたくさんありますよね。アフリカ大陸なんか見れば、経済的に失敗してる独裁国家が山ほどある。
民主主義って物事を決めるのに右往左往して時間がかかるけど、暴走を食い止めたり問題が小さいうちに異論が出て軌道修正される仕組みがビルトインされてるから、民主主義のほうが国としての勝率が高いんじゃないでしょうか。
そんなことをぼくは言い返した。


Nさんはふーんとつまらなそうに言って話題は次に流れたけれど、その時のぼくの答えが正しかったどうかは今もってわからない。

後になって、そもそも問いの設定に無理があったことに気付いた。
<経済停滞した民主主義国家>と<経済発展した独裁国家>を比較してはいけなかったのである。

民主主義が独裁より優れているかどうかは、<経済停滞した民主主義国家>と<経済発展した独裁国家>を比較するのではなく、<経済停滞した民主主義国家>と<経済停滞した独裁国家>を比較するか、<経済発展した民主主義国家>と<経済発展した独裁国家>を比較しなければならなかったのだ。物事を比較して論じるには、検討する要素=変数を一つに絞らなければならないというのは実験の基礎の基礎である(ただし変数同士が独立事象の場合)。

 

まあ民主主義がよいものか優れたものかは運用次第でもある。ナイフで美味しい料理を作るか他人を傷付けるかは使い手次第なわけで、主義=イズムもまた然りなのだ。

 

大事なことなので確認しておきたい。
なにかものごとを比較するときには比較すべき要素を一点にしぼらなければならない。
つまり民主主義と独裁主義の優劣を比べて論じるには「経済発展している独裁国家」と「経済発展している民主主義国家」を比べてどちらに住みたいかを考えたり、「経済停滞している独裁国家」と「経済停滞している民主主義国家」を比べてどちらがマシかを考えなければならない。
ほかの条件を全部同一にして論じてはじめて、民主主義と独裁国家の制度としての優劣が決められる。

 

このことに気づかせてくれたのは飯田泰之著「ゼロから学ぶ経済政策ー日本を幸福にする経済政策のつくり方」(2010年 角川oneテーマ21)であった。
飯田氏は同書の中で経済学についてこんなふうに書く。


<(略)どうしても「経済学者はなにかというとカネカネ言うけど、世の中お金だけじゃない」という反応をされてしまうかも知れません。しかし、経済学者は「お金だけが大切」とか「お金さえあれば幸せ」なんて話はしていないのです。明確な目標に出来て、それゆえに具体的な対策がつくのがお金の問題だ。だからまずはお金に関する幸福度を上げることから始めようじゃないか(その他のことは別途、そして並行してその分野の専門家が考えればよい)というわけです。>(上掲書p.22)


<それでもなお「やっぱり経済成長よりも人間の幸福が重要ではないか」という反論があるかも知れません。例えば、「経済学者は『みんなにとって悪いことじゃないから経済成長』だと言う。しかし、政策の目標が幸福を目指すということなのであれば、それは必ずしも経済成長を目指すこととイコールではないはずだ。むしろ経済成長を犠牲にしてでも、もっと我々が幸福に暮らせるような社会を目指すべきなんじゃないか」といった批判が典型でしょう。しかし、このように倫理的で、そして一見尤もらしく聞こえる言葉ほど、よくよく気をつけなければなりません。
 経済成長とは別の幸せがあるーこれは当たり前のことでしょう。それを否定する人は(経済学者も含め)いないのではないでしょうか。まったくもって正しいがゆえにこの言及には意味がないのです。「カネだけが幸せではない」「カネがあっても幸せとは限らない」という主張から「カネがあると幸せになれない」という主張は導かれません。
 「経済成長をしても”別の幸せ”は特に下がるわけではない」ならば経済成長はあった方がよいでしょう。つまりは、他の事情を一定として経済的な豊かさが向上するならば、それはすばらしいことなのです。>(p.23-24)。

 

<他の事情を一定として>というのがキモで、もしお金を稼ぐために何かを犠牲にしなければならないなら話は変わってくる。つまり、お金は稼げるが過労死するほどの激務とか、家族や友人と過ごす時間すら売り払ってお金を得るなどは別の話だが、「他の事情が一定ならば」お金はないよりあったほうがよい。
冒頭の民主主義と独裁を比較する話も、「他の事情を一定にして」論じなければならない。

経済学では、「他の事情が一定ならば」お金はあったほうがよい。
お金で買える幸せは限られるが、お金で回避できる不幸はたくさんある。医療機関で働いていると毎日痛感させられる。

マクロ視点でみると富はあるに越したことはないのだが、しかしミクロで見るとそう単純に語れないところがおもしろい。

 

お金というものが発明されて以来、このマネーという奴は人間の悩みの種で様々な喜劇と悲劇を生み出してきた。
黒人音楽ブルースの主題で一番多いのは愛でも恋でも性でもなく、「マネー」だという(テレビ東京の番組「タモリの音楽は世界だ」で昔言っていた)。
日本文学の世界、特に諧謔文学でも、ありがちなネタしか無くて展開につまったら「それにつけても金の欲しさよ」とつけておけばよいといわれている。
すなわち、「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音/それにつけても金の欲しさよ」とか「秋深し 隣は何を する人ぞ/それにつけても金の欲しさよ」とか「まっすぐな道で さみしい/それにつけても金の欲しさよ」とかいった感じである(後ろの二例はなにかやらかしそうな気配がぷんぷんするが)。

 

こんなふうにたいていの場合、人間というものはマネーが無くて困るが、ありすぎて困ることもある。
シェイクスピアの『リヤ王』は、持てる者の悩みでもある。
遺産争いではなまじお金があるがゆえに親族同士血で血を洗う争いになる。
宝くじにあたった途端、会ったことのない親戚や親友がわんさか現れて身ぐるみはがされる。
アメリカで高額宝くじに当たった人は高率にその後自己破産するというし、MCハマーや多くのヒップホップスターたちも大金稼いで身を滅ぼした。日本だと小室哲哉や沖縄の歌姫の物語もある。
あればあったで困る、なければないでもっと困るというのがこのお金という存在なのだ。

 

人生に必要なのは希望と勇気とサム・マネーとチャップリンも言う。
サム・マネー、少しばかりのお金というのがチャップリンの憎いところで、これがつかむぜビッグ・マネーだったら浜省である。
ドンペリニヨ〜ン。

 

独裁と民主主義の話をしていたらいつのまにかマネーの話になってしまった。主義=イズムが使い手次第であるのと同様に、マネーもまた活かすも殺すも使い手次第だ。
そんなわけでもし悩みの種になるほどのマネーがある方がいたらぜひご一報いただきたい。
ひとの役に立つことこそ我が喜び、責任もって誠心誠意、ぼくが処理して差し上げたいと思う。

(FB 2015年4月24日、27日を加筆再掲)

↓健康あってのマネーです。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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↓ラジオはじめました。

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うまい棒の穴から見る日本の危機と打開策ー君はシュガーラスク味を知っているか。

画像に含まれている可能性があるもの:食べ物、室内
うまい棒という駄菓子がある。
1本10円、コーンパフにさまざまな味のついた棒状のお菓子で、1979年発売以来数十年にわたって日本の子どもたちのおなかを満たしてきた。
そのうまい棒に、今変化の波が訪れているのをご存じだろうか
 
チーズ味、コーンポタージュ味、とんかつソース味、サラミ味などなど数多くのうまい棒がある中で、変化のきざしを見せたのは「シュガーラスク味」であった。
変化は味ではなく、形状に現れた。なんと、「シュガーラスク味」、中心に穴が無いのだ。
 
うまい棒といえば中空状の構造が売りだ。うまい棒は、中空状の棒構造をとることにより外部からの圧を分散させて割れにくくするとともに軽い歯ごたえを実現している。
しかし「シュガーラスク味」には、その売りである中央の『穴」がないのだ。

「シュガーラスク味」で穴なし構造を採用するまでにはやおきん・リスカ両社の壮絶な駆け引きがあった。
菓子の企画、立案をするやおきん社が現行の中空構造を要求するのに対し、実際に製造を請け負うリスカ社は激しく抵抗した。理由は人件費の高騰と後継者不足である。
そこには現代日本の縮図があった。

東京五輪を前に、どの業界でも人手不足が深刻だ。駄菓子業界も例外ではない。
人員を確保するためにやむなく人件費をあげなければならないが、それが経営を圧迫する。それを商品の値段に転嫁できればよいが、長いデフレに慣れきった消費者は価格上昇を許さない。
その結果生まれたのが穴なしうまい棒、「シュガーラスク味」なのだ。
 
つまりはこういうことだ。
10円の値段を堅持するためには、もはや既存の中空構造のうまい棒を作ることはできない。工程を一つ減らさなければならないのだ。
うまい棒のちょうど真ん中にぴったりとした穴を開け、季節や味によって数ミクロン単位で穴の大きさを変えるには熟練の技がいる。
あまり知られていないことだが、うまい棒は穴あけ職人たちが一本一本棒状の生地をくり抜いて丁寧に穴を開けてつくられている。ちなみに、くりぬいた部分の生地が「キャベツ太郎」の元になっている。
うまい棒の穴あけは熟練が要求される技だが、昨年その穴あけ職人の一人が高齢のため引退したことも響いている。うまい棒穴あけ職人のワザを引き継ぐものがいなかったのだ。
ここにもまた、日本の危機の一つ、後継者不足という問題がある。
ベテラン穴あけ職人の抜けた穴は大きかったというわけだ。

うまい棒の価格を抑え、人手不足をカバーするために取られた苦渋の策が穴なしのうまい棒「シュガーラスク味」である。これからじわじわと、穴なしの形状がほかの味のうまい棒にも広がっていくことが業界では予想されている。
人件費高騰と人手不足、後継者難という日本の危機と、それを乗り越えるためのシンプル化。うまい棒の穴からも、その気になればそんなものが垣間見えてくる。

なお、「シュガーラスク味」に穴のないのは本当だが、それ以外は全てウソなのはいうまでもない。ごめんなさい<(_ _)>

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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通勤電車が遅れたときに知っておくべきたった一つの話(R)

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連休明け、乗っていた通勤電車が遅れることが続いた。

ネット情報だと某路線では「本日、多数の駅で体調を崩されるお客様が続出しているため、電車が遅れております」などというアナウンスがかかったそうで、まあ連休明けに仕事に向かって気分が悪くなってしまったりするんでしょうな。

古人曰く、<人間は、働くようには作られていない。働くと疲れるのがその証拠である>。

そうはいっても働かずに生きていける人なんてのは一握りで、どうにかこうにかみんなえっちらおっちら職場に向かうわけである。そりゃあ具合も悪くなるというものだ。

 

どこかしら我慢を抱えた通勤途中、電車の遅れというのは正直イラッとくるものの一つだ。
人身事故や車両のトラブルなどやむを得ない事情ではあるが、数十分遅れたりすると次の予定もあるしこちらも困ってしまう。

急ぎ過ぎて事故を起こすよりはマシ、何年か前には電車の運行を時間通りに行おうと無理した結果大きな電車事故が起こったこともあるし、平常心平常心と唱えるが、時には数分の遅れでもイライラしてしまったりする。
そんなときはインドの小話でも思い出して心を落ち着かせることにしたい。
何で読んだかは忘れた。

 

インドを旅行中の日本人観光客が列車の指定席券を買って、自分の座席に向かった。
指定された自分の席であるD4席に行くと、見知らぬインド人が悠々と座っている。
このやろう、図々しいやつだと猛烈に抗議するが相手は一向に動じない。それどころかお前のチケットを見せてみろと言う。
これでも見ろ、とインド人の鼻先に自分のチケットを突きつけてやるとインド人はこう言った。


「確かにチケットにはD4席と書いてますね。だが日にちが一日違ってます」。
んなわけあるか、間違いなく今日の日付だと怒ると、インド人は言った。
「私たちが今乗ってる列車は<昨日>の列車です。つまり出発が24時間ほど遅れてるんですな。
<昨日>の列車に乗るには<昨日>の日付の指定席券が必要です。私が持ってる券ですな。
あなたが持ってる券が使える<今日>の列車は、しばらく待てば来るんじゃないでしょうか。

たぶんね、明日には乗れますよ」。

24時間の電車の遅れとはびっくりするが、インド数千年の悠久の歴史を思えば24時間の電車の遅れなど誤差範囲。ましてや日本の電車の数分の遅れなど<ゼロ>に等しいというものなのである。


(FB2014年5月8日を加筆再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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彼方からの手紙。

ゴールデンウィーク早々ものすごい幸運に恵まれてしまった。

あまりのツキに、未だに夢の中にいるような気分である。

きっかけは

昨日の昼に届いた一通のE-メールだ。

見たこともない差出人の名前に、はじめのうちは半信半疑だった。

知らない人からのメールなんて、普通はほぼ鉄板でインチキや出会い系なのだが、他人に惜しげも無くこんなに素晴らしい申し出をする人がいるなんて。

まさにWhat a wonderful world。未来はバラ色である。

年末に買った宝くじも、明治時代なら家が買えるくらいの額が当たったし、今年は空前絶後のゴールデン・ラッキー・イヤーだと思う。

メールの 差出人の

名はミスター・ジョンソン・ピータース/JOHNSON PETERS。

ビジネス上でぼくの助力が欲しいらしい。

格調高い英語で丁寧な自己紹介をした後、用件が簡潔かつ的確な表現で書かれている。

簡単に言うと、こうだ。

彼は

ある国の国営石油会社の主任会計士(senior accountant)で、石油の権益を管理し、外国と交渉する原油管理委員会と繋がりがある。

その国の油田を開発するにあたり、日本の銀行の口座が必要なのだという。

なんでも日本の企業が油田開発に投資するためだとか。

残念ながら彼の国の銀行では投資先の会社の信用がないし、彼は日本の銀行に口座を持つことが出来ない。

そのために、日本人の協力者(つまりぼく)の口座が必要なのだという。

彼の話では

日本の銀行に口座を開設できて投資を得られれば、すぐにでも原油が出る状況らしい。

原油が出た暁には彼に約1540万USドルが入るのだそうだ。

1USドル=110円とすると、約17億円!!!!

 口座を貸す見返りとして

ぼくには25%をくれるという。約4億円あまり。

70%は彼と彼のパートナーが取り、残りの5%を諸雑費にあてるのだそうだ

日本の会社から投資を得るために、銀行口座を貸すだけで莫大な利益が得られる。

こんないい話は二度とないと思い、即座に自分の名前や住所、電話番号、

自分の銀行の口座番号や暗証番号などをメールで送った。

メールを

送って数時間後、ほんのさっきジョン(今ではニックネームで呼び合う仲だ)から電話があった。

嬉しそうな声でジョンが言った。

「ほんとうに有難う。心より感謝しているよ、マイベストフレンド。

言い忘れたけどマイフレンド、報酬は現物支給なんだ。

君のぶんの原油、いつ取りに来る?」

そういう事情で、

近いうちに、ナイジェリアまで分け前を取りに行く。

誰か、大きめのポリタンク貸してください。
(hirokatz.tdiary 2003年1月9日を加筆再掲。先日はフランスの大金持ちの未亡人、マダムAlice Aliからメールをいただきました)

 

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↓ラジオ番組始めました。

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だまし屋たちの格差学

 

amazonマーケットプレイスを舞台に横行している詐欺は、いまだ収束していないようだ。

相場よりかなり安い値段と「出品者に対する評価」の☆がついていないこと、出品者のプロフィールが不自然な日本語であることなどが詐欺師ではないかと疑うポイントで、さっき(2017年4月30日未明)みたら、某ベストセラー本の最安値はやはりそういう出品者のままだったし、数万円するプロジェクターにも1900円くらいの新品を出品している業者がいた。あぶないあぶない。

 

今回のマーケットプレイス詐欺に限らず、一見幼稚に見える詐欺は多く、その理由は詐欺師が自らの生産性を高めるためだ、と先日述べた。

詐欺師の生産性ーamazon マーケットプレイスで詐欺が横行中 - カエル先生・高橋宏和ブログ


要するに、ひっかかりやすそうな人たちだけを選別して詐欺をするために、わざと稚拙な手口で詐欺被害者を「募集」するわけだ。いかにも詐欺ですよという文面に引っかかる人、優良なカモ物件は、途中で詐欺だと気付く確率が低い。詐欺師にとって無事最後まで詐欺が完走できるわけで、その選別を稚拙な手口によってしているという話である(ネタ元は瀧本哲史『戦略がすべて』新潮新書 2015年 p.137-138)。

そんなことを書いたら、「詐欺も二極化しているのではないか。稚拙なものと、巧妙なものに」というご意見をいただいた。なるほど。

 

稚拙な詐欺と巧妙な詐欺の格差は、詐欺を仕掛ける相手が違うことによって生まれてくる。

今回のマーケットプレイス詐欺や振り込め詐欺など不特定多数から詐欺対象を抽出する場合には稚拙な手口が採用される。一方、「これぞ」という特定のカモに狙いを定めて実施される詐欺は精緻で巧妙なものとなる。

「ぬるい」カモを探す場合にはあえて稚拙な手口の詐欺師が跋扈し、「太い」カモから巻き上げる場合には巧妙な手口の詐欺師が暗躍する。ローエンド詐欺とハイエンド詐欺とでも名付けよう。

ハイエンド詐欺の場合、カモられる側は狙われるだけの大金を持っている人々で、たいていの場合はそういう人は注意深い。ハイエンド詐欺では周到な準備が必要だ。

 

たとえば地下カジノで太いカモから巻き上げる場合には、店舗まるごとでっち上げ、店員もほかのお客も全部「仕込み」だったりするという。

他人の土地を売りつける「地面師」の場合も相当手が込んでいる。

ご用心! 不動産のプロまでダマされる「地面師」たちの手口(森 功) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

こうした巧妙な詐欺師、ハイエンド詐欺師になればなるほど、見た目はフツーになってくる。いかにも詐欺師、というような風貌では、海千山千の「太い」カモは引っかからない。

 

水商売のプロの女性相手の詐欺師「竿師」も、ホンモノはむしろ地味だ。いかにもジゴロみたいな派手な風体ではダメで、男を見る目に肥えたプロの女性をだますには

<見てくれにしても、真面目にやるけれど不運続きで芽が出ない、といったような、優しい心の持主だけど、くすぶった様子が堅気の娘さんには気に入ってもらえず、恋人も出来ない独り者だから、月に二度ほど遊びに来るというような役柄がいちばんいい(略)>(安倍譲二『塀の中の懲りない面々』文春ウェブ文庫収載 「プロフェッショナル・トゥール」より)

 

のだそうだ。

 

「太い」カモ相手のだまし屋ほど、見た目は地味だ。

もっともスケールの大きいだまし相手といえば国家。国家規模のだまし屋であるスパイも、想像以上に地味だったりする。

 

<基本的にいって、情報部員は二つのタイプにはっきり別れる。

 第一は誰の注意もひかぬ、特徴もない凡人である。彼は物静かで、落着いており、けっしてでしゃばらない。態度はしばしば控え目で、はにかみ屋でさえある。服装も地味、話しぶりも地味、物腰も地味である。これは特徴のない平凡な女性でもよい。道を通り過ぎても、誰もその女性を振り返ってみることはない。要するに、会ってから五分も経てば、忘れられてしまうような男女なのである。

 もう一つのタイプは目立つ人で、脚光を浴びていなければ落ち着かないといった外交的な性格の持ち主である。(略)>(ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』ハヤカワ文庫 1982年  p.96)

 

アルヴェス・レイスという国家規模の詐欺師もまた、そんな地味な見た目のだまし屋だった。「史上最大の贋金造り」と呼ばれた男である。

 

<その男は見たところどこといって何の変哲もない男だった。実際の齢は二十八歳だが、二十代も後半からにわかに禿げはじめた頭の恰好のせいで齢よりかなり老けて見える。長頭型でいくぶん色が黒く、ダークスーツに身を固めたごくありきたりの風采からすると、取り立てて学歴も門閥もない、小規模の貿易商社の責任者といった役どころだろう。>(種村季弘『詐欺師の楽園』岩波書店 2003年 p.269)

 

アルヴェス・レイスは1920年代、ロンドンのウォーターロー商会をだまして偽エスクド札を大量に印刷させポルトガルに持ち込み、そのお金で当時ポルトガルの植民地だったアンゴラの鉱山の利権などを買いあさった。最終的にレイスはつかまってしまうのだが、ハイエンド詐欺だけあって彼の手口もまた巧妙だった。

 

アルヴェス・レイスの詐欺の手法の一つに、時間差空間差を利用した詐欺がある。

 

<ナッシュ自動車との取引関係から彼はニューヨークの市中銀行当座預金口座を開いていた。リスボンで小切手を振り出しても、これが船便でニューヨークに到着するまでには最低八日間はかかる。七日目に電報で裏書きをすれば、八日間は不渡小切手が有効であり、さらに、払い込みを忘れたか、遅れたことにすれば、もう一度ゴマかして小切手を切れる。

 リスボンとニューヨーク間の空間的差異を利用して、不渡小切手で二十四日間有効な十万ドルの現金をまんまと握ってしまったのだ。>(種村季弘『詐欺師の楽園』p.278)

 

時間差空間差を利用して利益を上げるのはビジネスなどでもよく見られる手法だ。

以前、アメリカの証券取引所などは特定の顧客にほかよりも少しだけ早く取引情報を提供するサービスを行っていた。特定顧客はほかの顧客より少しだけ取引情報を知ることで、莫大な利益があげられたようだが、その時間差はわずか0.03秒。フラッシュオーダーと呼ばれるこの仕組みは、不公正として今は取りやめになっている。

フラッシュオーダーとは|金融経済用語集

 

実際、精密な詐欺と巧みなビジネスや政治の手法は紙一重かもしれない。

百兆円硬貨を1つだけ政府が発行して巨額な債務を帳消しにするなんてアイディアは普通の生活者からすればトリッキーだし、タックスヘイブンの話なんかもやはり紙一重だ。そのギリギリ紙一重の差が大事だともいえるんでしょうが。

そう言えば年金問題だって「100年安心プラン」って話を聞いてからまだ10数年しか経っていないし、消費税が上がるときだって社会保障充実のためだけに使うって聞いた。カジノだって産業のない過疎地振興のためにつくるって言ってたのになしくずしだし…。

おや、誰か来たようだ。


みなさま、どうかよいゴールデンウィークを……。

 

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