ニッポン寒いかあっついか。かつて官僚の間で、そんな論争があったという。
たぶん上前淳一郎氏の『読むクスリ』で読んだ。
1945年の敗戦後、日本をどう建て直すかの方法論として、経済官僚は製造業を中心とした工業国として、外務官僚は観光業を軸とした観光国としての政策を考えた(という話だったと思う)。
1945年当時、工業国というのは西欧などの「寒い」国々が多く、熱帯の国々は工業に向いていないと思われていた
(実際、エアコンが発明されてなかったら暑い国々では働く気もわかないとは思う)。
だから経済官僚としては、日本は「寒い」国であり、西欧と同じように工業が発達できる地域であると世界にアピールしようとした。
一方で、1945年当時、海外旅行に来られるような金持ちは欧米にしかおらず、欧米人にリゾート地として売り出すためには日本は「暖かい」国であると打ち出す必要があると、外務官僚は考えた(という話だったと思う)。
戦後日本は工業でいくか観光でいくかの論争の終結がどうだったかはわからない。
結局戦後日本は工業国となることで奇跡の復活を遂げる。
「日本は寒い」派と「日本は暑い」派の論戦がどれだけホットだったかはたまたクールだったのかは今や知る由もないが、ニッポン寒いかあっついかは、週明けから答え合わせができそうである。
そが上に熱き汗をしたたらせて季節を過ごすはいづこの国のならひぞや。
