知とアービトレージ(R)

「センパイは昔っからアービトレージだからなあ」
少々酔いの回った後輩Cがそう言ったのは夜の12時を越えたころ。
言ってくれるねえ。ところで、アービとレイジって何?修二と彰みたいなもの?青春アミーゴ

 

「知らないんすか!?サイテー取引ってことっすよ」
仮にも先輩にむかってサイテーとは何だ、陰口はきちんと陰で言えと言う言葉が口から出かかったがぐっと飲み込んだ。
酔っぱらったCがふらふらとトイレに行ってしまったからである。
代わりに携帯で「アービトレージ」を検索してみる。

 

「アービトレージ…物の値段と実際の価値の差を利用して利益を得ること。サヤ取り、裁定取引」みたいなことが書いてある。
なるほど、最低取引ではなく裁定取引と書くのか、と先ほどの憤りは姿を潜めて納得と平静が心に訪れる。
インターネットは狂気を加速し過熱させ増幅させるメディアだが、時々はこんなふうに頭を冷やしてくれることもある。
ちなみにさっきググったら「青春アミーゴby修二と彰」は2005年だった。月日の経つのは早い。
閑話休題

 

アービトレージ、裁定取引とはこんなことのようだ。
ほんとはすっごく素晴らしい品物アルファがここにあるとする。
本来は100万円の価値があるアルファの素晴らしさにまだみんなは気づいていないので、今のところは1万円で手に入る。
そこでいち早くアルファの価値に気づいて1万円で手に入れて、みんなが価値に気づいたときに100万円で売って99万円の利益を得る。
あるいは、場所によって物の価値は異なるのでそれを利用するやり方もある。
漁村では魚はいくらでも手に入るが、山奥の村では貴重だ。
農業国では農産物はあって当たり前だが工業国では高く売れる。
そこで漁村で魚を安く仕入れ山奥に持っていって高く売って利益を得たり、農業国の農産物を工業国に輸入したりする商業が成立する。
意地悪くみれば商人は何も自分で作り出していないのに、莫大な利益を得ているということも出来る。

 

後輩というのはよく見ているもので、確かにぼくのやっていることはアービトレージかも知れない。
医療の世界では広く知られていることを医療以外の世界に持っていって面白がってもらったり、その逆にビジネスや行政の世界の人や本から聞きかじったり読みかじったりした話を医療業界に持ち帰ったり。
そこに一抹のうさんくささがあることは自覚しているが、面白いからこそやめられない。
自分がゼロから始めたことでもないのに偉そうに話すのもどうかなあと思いつつ、世界を豊かにしたのは商業だし、目利きじゃなきゃアービトレージも出来ないだろうと自分を納得させつつ日々を過ごすわけである。

(FB 2015年3月17日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 



3月26日日曜日、北千住で公開講座『認知症との上手な付き合い方』開催します!

3月26日日曜日、よみうりカルチャー北千住で公開講座認知症との上手な付き合い方』開催します!

もの忘れと認知症との違い、さまざまなタイプの認知症について、認知症のリスクを減らす食生活とは、大事な人が認知症になったらなどなど、盛りだくさんでお送りします。ぜひご参加ください!
詳しくはこちら↓

認知症との上手な付き合い方〜家族の心得〜:よみうりカルチャー北千住:よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)

R-1でのブルゾンちえみネタ飛び号泣を憂う。

かえすがえすも残念だったのはR-1のブルゾンちえみである。

ネタが飛んでしまったとか言って泣いてしまったことは、彼女の人気を失速させるきっかけになるだろう。

 

その昔、毒舌で人気だったトニー谷が人気が落ちたきっかけはご子息の誘拐事件で、マスコミの前で泣き崩れるトニー谷の姿に、世間は「ほんとはいい人なんザンス」と思ってしまった。毒舌スタイルが「演じられているもの」とばれてしまったのだ。
これからはブルゾンちえみの同じネタを見ても、「がんばって小生意気なワーキング・ガールのネタを演じている若い女性」としてしか見えなくなってしまう。そこに応援はあっても笑いはない。再起を切に願う。

ブルゾンちえみトニー谷に個人としては同情するが、「素を見せる」ことが致命傷になるスタイルの芸能人というのは存在する。

誰だって、すっぴん・上下スエットと健康サンダルで近所のコンビニに買い物に行く叶(かのう)姉妹なんか見たくもないのだ。


↓ラジオ番組、始めました。

ch.nicovideo.jp

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

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「しらたきがすき焼きの肉を硬くする」は誤解?-実証実験に再検討の余地アリ。

2017年2月27日、日本中に衝撃が走った。数多くのメディアが一斉に新たな事実を伝えた。「しらたきがすき焼きの肉を硬くする」というのはフェイク・ニュースだったというのだ。
 
複数メディアによれば、日本こんにゃく協会の実験では、しらたきがすき焼きの肉を硬くするという研究結果は得られなかったという。
しらたきと国産牛肉、アメリカ産牛肉とともに割り下の中で加熱したものをモニター5名に比較してもらったところ、いずれもしらたきと牛肉の硬さとの間に関係ないことが証明されたとのことだ。長年のしらたきへの誤解と偏見が解けた形になる。
 
しらたきの無実が証明されたのは喜ばしい。しかしながら気になるのはその実証方法である。ニュースを読む限りでは単純に、しらたきと牛肉を割り下の中で加熱して硬いかどうかを判定したに過ぎないようだ。
 
本来ならばこうした研究は比較対照の実験を行わなければならない。
「しらたきと一緒に加熱した牛肉」と「しらたき抜きで加熱した牛肉」を前情報なしで咀嚼してもらい、その硬さを比較することではじめてしらたきの無実が証明される。
 
さらに言うなれば、モニターが利害関係者ではいけない。しらたきの潔白さを証明したいと切に願う人物ー日本こんにゃく協会のメンバーなどーが万が一にもモニター陣の中にいてはならない。利害関係のある人がモニターをすると評価の目が濁るからだ。
 
一切の利害関係なく国産牛肉の硬さを評価できる人物、しかも一回だけではなく最低でも十数回、何度も何度もくり返し十分な量の「割り下の中で加熱した国産牛肉」の硬さを評価できる人物こそをモニターとして招聘しなければならない。
そうした人物はなかなかいないだろうから、言いだしっぺでもあることだし、ぼくがそのモニターになるのもやぶさかではない。
 
ご連絡をいただければ、卵と白米はこちらのほうで準備して伺うつもりである。

↓ラジオ番組はじめました。

動画:radioclub.style - ニコニコチャンネル:バラエティ

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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Tears in Heaven(R改)

歳をとったせいか、最近なぜか涙もろい。

人の言葉に涙し、ネットの何気ない書き込みで涙し、雑誌のちょっとした記事に涙し、なんてことのないヒットソングの一節で涙する。

歳をとると涙腺が緩むと聞いたことはあったが、一体全体どういうわけだろう。

 

こどものころは誰も皆、心に思ったままを素直に表現することが出来た。

意味もなく駆け回り、追いかけっこをするだけで心から笑うことが出来たり、転んでひざを擦り剥いて、親の気を引くために大げさに泣いてみたり。

 

ところが歳を取っていくにつれ、そうそう泣いてばかりもいられなくなる。

笑うにしたって、隣を横目でのぞきながら、「今ここで笑うべきだ」とばかりにタイミングを計ってからだ。

怒るときだって相手の感情を慮って、調節しながら怒ってみることもある。

なにしろおとなの世界では「感情的」というのはマイナス評価なのである。

 

ところが他人に受け入れられるために、上手に感情という荒馬を乗りこなし、手綱を操っているつもりの理性からして、荒馬なしでは身動きがとれないのだ。

自分の行動の方向をきめるのは理性かもしれないが、行動の原動力はやはり人間らしい感情なのだ。

 

そんなわけで涙と呼ばれる、自分の中の感情の地下水が、ふとした瞬間に地を割って溢れ出すようになる。

歳を喰うとその地下水がいともたやすく噴き出すみたいだ。

理性的に振舞おうと感情を押さえつければ押さえつけるほど、倍する力で感情が押し返す。

長年の無理で金属疲労を起こし、もろくなった理性の地面の割れ目から、ふとした拍子に涙が湧き出す。

 

それにしてもいったいいつからこんなに涙腺が弱くなったのだろう?

年末年始はそんなことはなかった。

つらつら考えると、ここのところ急激に涙もろくなってきた。

 

春。別れの季節。

思えば春が見え始めてからふとしたことで涙目になるようになった。

嬉しくなれば泣き、悲しければ泣く。

時には自分で理由すらわからないのに涙があふれることもあった。

そしていつでもそばには美しい花々が静かに咲いていた。

いつしかぼくは花を見るだけで涙があふれるようになった。

そしてまったく不思議なことに、どういうわけか、スギの樹を見ても涙がこぼれ、くしゃみや鼻水が止まらなくなるのだ。
(hirokatz.tdiary 2002年11月25日を加筆再掲)

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)のマイノリティ的視点と『マトリックス』に関する一仮説。

映画『マトリックス』1999年公開から18年後のネオ、トリニティ、モーフィアス役の三人の写真というのをネットで見つけた。

1作目から18年! 3人そろったキアヌ、キャリー=アン、ローレンス Todd Williamson / Getty Images - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN

あれから18年かー。3人とも変わったけど、一番変わったのは監督のウォシャウスキー兄弟だ。
なにしろ二人とも性転換して、今やウォシャウスキー姉妹である。

gigazine.net


そんなことを思っていたら、ある仮説が心に浮んだ。
ウォシャウスキー姉妹の心の葛藤が、『マトリックス』の世界観に及ぼした影響についての仮説だ。



そもそも前々からマイノリティーに優しい映画とは思っていたのだ、『マトリックス』。
主人公のネオ(キアヌ・リーブス)は黒髪・細身のやさ男で、モーフィアスはアフリカ系。トリニティーもスレンダーの黒髪だし。
超典型的なアメリカ映画のイメージだと、金髪碧眼でマッチョな、ジョンとかチャールズとか言うピカピカのWASP的な主人公とこれまた金髪碧眼で「出るとこ出てます」系体型のか弱いヒロインを、いいやつだけど主人公よりはちょっと単純なアフリカ系の脇役とかオタクちっくなアジア系を従えて大暴れ、とかなりそうだけど、それとは全然違う構図で。今どきそんな超典型的な映画があるのかはしらないけど。
 
作家の人間性と作品の内容をイコールで考えるのは間違いだというのはわかっている。
とんでもない悪人が心温まるハートウォーミングストーリーを書くことだってあるし、その逆もありだ。自分の経験したことしか書けないとなると、赤川次郎は大量殺人鬼になってしまう。
しかしそれでも、作者の経験というのは作品ににじむ。

マトリックス』監督のウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)の心の経験は、『マトリックス』という作品にどう滲んでいるのかに関心がある。
トランスジェンダーの自分にとって本来の性である女性性を押し隠しつつ社会から与えられた性=男性性はどんどん肥大化し、そちらが現実になっていく葛藤。
真の姿を現したときには、社会から抹殺されるだけでなく、肉体すらも滅ぼされるかもしれないという恐怖(GIGAZINEインタビューでは「アメリカでは、トランスジェンダーが殺人事件の被害者になることも多い」と語っている)。
そんな葛藤やひりひりする恐怖感、それでもなお真の自分でありたいという決意が、<覚醒せよ><たとえ現実の姿のほうがみすぼらしくてみじめだとしても、虚飾に満ちた仮想現実からプラグを抜け>という映画の世界観に反映しているのではないかと思った次第。

第1作では仮想現実から離脱したネオたちは少数派だったけれど、第2作、第3作になるにつれて、<仲間はいっぱいいる>的な感じになっていったのも興味深い。

2009年から2017年までのオバマ政権時代のアメリカは、大統領自身もマイノリティ(アフリカ系のルーツを持つ非WASPで、左利きでもあるそうだ)であり、LGBTなどのマイノリティに対しインクルーシブであった。振り返ると『マトリックス』はオバマ的なアメリカの序章だったのかもしれない。

誰か、トランスジェンダーであるウォシャウスキー姉妹の視点と『マトリックス』の世界観およびオバマ時代の社会的風潮について研究して発表してくれないでしょうか。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ブルゾンちえみとは2017年のトニー谷であるーR-1グランプリを前に。

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「どうも、キャリア・ウーマンです」

ブルゾンちえみを動画で見てから、彼女のことが頭から離れない。

コシノジュンコをリスペクトしたショートボブというよりはおかっぱといいたい髪型と濃いメイク、どこかで見たことがあると思ったらハリウッド映画の中だった。

 

ハリウッド映画ではときどき、妙にビミョーなアジア系の女性が端役で出てくる。

ハリウッド映画に抜擢されるくらいだから美人なんだろうが、日本人の感覚からすると失礼ながらそんなに美人には見えない。日本国内の女性のはやりは多分ゆるかわ・ナチュラルな自然派(と見せかけた超絶技巧派)メイクなんだろうけど、それとは真逆のくっきりはっきりしたアイラインで、小柄というよりちんちくりんな感じのスタイル。

古い映画では『フォレスト・ガンプ/一期一会』で主人公フォレスト・ガンプが軍隊で世話になり、のちにエビの会社を一緒に立ち上げるダン・テイラー中尉が結婚した相手がそんなビミョーなオリジナリティあふれる外見のアジア系女性だった。

「なぜこの人と結婚するかなー」と日本人の観客は思うのだが、話の流れからすると変わった風貌のアジア女性と結婚しちまった!というネタではなく、普通の幸せな結婚という感じで描かれていて、あれはアメリカ人の一部にああいった濃い独特のメイク・小柄なアジア人女性をオリエンタル美人ととらえる趣味があるのだろう。

 

ブルゾンちえみの姿がそうしたハリウッド映画にチョイ役で出てくるビミョーなオリエンタル女性に似ていると思った瞬間、謎が解けた。あれはおそらく、海外帰国子女で外資系に働くキャリア・ウーマンのパロディなのだ。

帰国子女という設定だとすると全て合点が行く。

「クミちゃん、仕事しごと!」「サイトウくん、ありがと」「ウエダくん、ありがと」とやけに名前を呼んでくる感じ、体言止めの多用、「ダメウーマン!」と相手をちょっとけなしそのあとで「それじゃあ質問です」と質問形式で話を進める様子、キメキメのジェスチャーなどなど、あれはアメリカで青春時代を過ごして日本に帰ってきた帰国子女の立ち居振る舞いを戯画化しているのであろう。

 

そう考えたとき、帰国子女のパロディを演じているブルゾンちえみと、それを笑っている我々視聴者との距離感は、戦後のトニー谷と観客のそれにそっくりだ。

トニー谷は戦後、日系二世を演じて一世を風靡したボードヴィリアンである。

「レディース・アンド・ジェントルマン、アンド・おとっつあん・おっかさん」などの日本語混じりの怪しげな英語、「トニー+イングリッシュ=トニングリッシュ」をあやつり、「サイザンス」などなどのキザではなにつく軽口・悪口で人気者となった。

赤塚不二夫のキャラクター、「イヤミ」のモデルになった人物といったほうがイメージしやすいかもしれない。

 

本名は大谷正太郎、トニーの名はアメリカン・レッド・クロス・クラブで働いているときに上司のアメリカ人女性から「トァニィ、トァニィ」と、谷を訛ってよばれたところから谷→トァニィ→トニーとなったという(村松友視トニー谷、ざんす』毎日新聞社1997年 p.64)。
トニー谷は司会者が観客や共演者をイジるスタイルのはしりで、それまで脇役だったMCが人気者になるという、タモリ的な芸風の創始者のひとりであった(小林信彦『日本の喜劇人』新潮文庫 昭和57年 p.90)。

 

トニー谷がウケたのは戦後の米軍占領下の日本だったから、というのが識者の一致した見解だ。子どもの誘拐事件という不幸な出来事があったにせよ、最盛期は昭和26年ころから昭和30年とされる(笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』文春文庫 2016年 p.201)。

この時代、日本は米軍の占領下・占領直後だった。日本からの輸出品に、「Made in Occupied Japan」と記されていた時代で、フクザツ・鬱屈した思いで生きている日本人も多かったはずである。

そんな中、見た目は同じ日本人なのに占領国側、「勝ち組」の一員として振る舞う日系二世は一部で嫌われ者だったようで、トニー谷はそんな嫌われ者の日系二世を徹底的にイヤミに演じることで大人気だった。

 

放送作家景山民夫が後年、もう一度全盛期の芸をテレビでやってほしいとトニーに頼んだとき、トニー谷はいったんはこう断っている。
<「やらねえよ!」

「でも……」と僕は食いさがった。

「僕らは見てないんです。遅く生まれてきちゃったんです。きっと、あの頃のトニーさんの芸を見たがっている人は沢山いると思うんです」

彼はテーブルの上の僕の名刺を手にとって、ちょっと顔から遠ざける仕草をして眺めた。

「景山さん……ね。いいかい、あちしが二世みたいな喋りをやったのは町に二世が一杯いたからだよ。アーニーパイル劇場はアメリカの芸人が出てて客席も全部アメリカ人。劇場の表を歩いてる日本人にゃそれが見られない。だけど、同じ顔をした二世は、アメリカ人で、いくらでも劇場に出入り出来た。そういう時代だったんだよ。どっちかってェと二世ってのは、キザだのなんだの嫌われてる時代だったんだ。だからあちしのやったことに意味があった。ウケた。“レディース・アンド・ジェントルメン・アンド・おとっつぁん、おっかさん……”がウケたんだ。パロディーってのはそういうものなんだ。それを、今、この時代にやったって何の意味もありゃしない。そうだろ?」>(景山民夫『普通の生活』角川文庫 昭和63年 p211-212. 「トニー谷ディナージャケット」)

 

トニー谷が占領下の日本で日系二世を演じて観客のコンプレックスと嫌われ者見たさに基づく笑いを引き起こしたとすると、ブルゾンちえみの笑いは何に由来するものか。

格差と二極化に翻弄される2017年において、いわゆる「勝ち組」ポジションの帰国子女・外資系キャリアウーマンを演じ、言ってる雰囲気やジェスチャーはキメキメなのにたとえが少しだけずれていたり(人気アイドルが遊ぶ時間が無いのとキリンの睡眠時間はよく考えると関係ない)、「イケてる女」気取りなのに見た目が微妙(文字通り微妙で、美人ではないが崩れすぎてもいない)なところのギャップが笑いの源泉なのだろう。
「かっこつけてそんなこと言ったってアンタ微妙じゃん」という笑いなのだと推測する。


そうした意味で横にいる「B」、ブリリアンの二人が超・効いているともいえる。

イケメンで182cmの長身の二人を両脇に配することでブルゾンちえみの「ちんちくりんさ」(そうは言っても155cmあるそうだ)と見た目の微妙さが引き立つ。
もし江角マキコwith Bが同じネタをやってもただの『ショムニ』だし、クールビューティなハリウッド女優が「地球上に男は何人いると思う?35億」と言っても「ははー、恐れ入りました」となるだけで笑いにはつながらない。

ギャップがあるから面白く、そのギャップの演出にブリリアンの存在は不可欠だ。
2月28日放送のR-1ではブルゾンちえみはBなしで戦うという。どこまで戦えるか大注目である。

 

何で延々とこんなことを書いてるかって?
Ha! ダメネットサーファー。

それじゃあ質問です…(以下、お好きな文章をお入れください)

 

 

↓書きたいから書くの。

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↓なにやってんすかスウェーデン大使館(笑)

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